旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 上野駅が特急銀座だった頃

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 写真を整理していると、いろいろなものが出てきますが、よもやこういう写真まで撮っていたとは、当の本人も覚えがなく出てきたときはビックリしつつも、感心してしまいました。

 上野駅といえば東京の北の玄関口として知られる存在です。

 かつてはこの駅から東北各地や上信越、さらには北陸へと向かう多くの特急・急行列車が発着していました。

 新幹線が開業していなかったことも理由の一つでしょうが、それよりも利用者がとにかく多かったのです。高度経済成長期には、「金の卵:と呼ばれた集団就職で首都圏に職を求めてやってきた人たちの多くは、東北や上信越、北陸の各地の出身だったのです。

 こうした事情もあって、東京駅から西や南に向かう列車よりも、上野駅から北に向かう列車のほうが多かった、とも聞いています。

 もっとも、東京駅にはすでに東海道新幹線が開業していたので、在来線の優等列車はこれに置き換えられてしまい、残るは伊豆方面へ向かう列車と、新幹線を補完することを目的とした急行列車がごくわずかに残っただけだったので、対照的に見えたのかもしれません。

 

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 こちらの写真は上野駅で発車を待つ485系の特急「ひたち」です。

 特徴的ともいえるクハ481のボンネットが、日差しを浴びて艶やかに光っているのが見えます。

 ちょっと見えにくいのですが、ボンネットの候補側面には、国鉄のシンボルでもある「JNR」マークの切り抜きが貼ってあるのが見えます。

 撮影したのは東北・上越新幹線が上野開業する前の年1984年頃。詳しいこと残念ながら記憶が曖昧なのではっきりとはしないが、常磐線優等列車が発着していて対向式のプラットホームを備えているので18番線だったと思われます。

 翌1985年に東北・上越新幹線が上野に延伸するまでは、こうした在来線特急が発車を待つという光景を、上野駅では当たり前のようにあちこちで見かけることができたのです。そして、シーズンともなればこの駅は多くの乗客でごった返し、乗り切れないほどの人たちを乗せて、北の各地へと列車が旅立っていったのです。

 その旺盛な需要を捌こうと、ひっきりなしに特急列車が発着するので、特急銀座とも呼ばれていました。「はつかり」「やまびこ」「つばさ」「ひたち」などなど、バラエティーに富んでいました。

 加えて、それは昼間だけにとどまらず、夜になっても寝台特急や夜行急行が数多く発車していました。

 

 このボンネットスタイルのクハ481は、このときが筆者にとって始めてみた実物でした。それまでは、図鑑などの写真でしか見たことがなく、それはもう興奮しながらシャッタを切っていたのが容易に想像でき、我ながら少し恥ずかしい思いです。

 この後、残念ながらボンネットスタイルのクハ481にお目にかかる機会はなく、6年後に赴任した九州・博多駅から小倉駅まで乗った「にちりん」のクロ481までありませんでした。

 今となってはボンネットスタイルの485系は大宮の鉄道博物館か、京都の京都鉄道博物館など行かなければ見ることもできません。まあ、見ることができるのだけまだいい方で、写真を撮影した上野駅18番線はすでに過去のものとなってしまいました。今日では、東北・上越北陸新幹線の乗換改札口が設置されて見る形もありません。

 世の中はどんどん便利になっていきます。鉄道も、新幹線網が各地に伸びるにつれて、長い距離を早く移動をすることができるようになり、利便性は大幅に向上しました。

 その一方で、かつての多くの人の生活をも伝える鉄道施設は姿を変え、ともすると消え去ってしまうことが多くあります。こうした1枚の写真から、往時の姿を思い返してみるのもこの趣味の楽しみだと思います。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#国鉄 #上野駅 #国鉄の車両 #特急列車 #485系