旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

川崎・登戸での朝の惨劇 私たちにできることとは 

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 いったい、何が起きたというのだ?
 どうして、幼い子どもが犠牲にならなければならなかったのだ? 
 4月に新年度が始まって以来、怒濤のような忙しさに飲み込まれてブログもずいぶんとご無沙汰してしまったが、運動会という一大行事も終えて落ち着きを取り戻し、久しぶりに記事を執筆しようとした矢先、このような痛ましく、そして憤りを隠しきれない事件が起き、そのことから書かなければならないのが残念でなならない。

週明けとともに起きた悪夢の事件

 既に多くの方がこのニュースに接してご存知だと思うが、本日(2019年5月28日)午前7時45分頃、川崎市多摩区のJR南武線小田急小田原線登戸駅付近で、刃物を持った男が通学途中の小学生らを襲い、17人が重軽傷を負い、2人が死亡するという事件が起きた。

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 私がこの事件の第一報に接したのは午前8時過ぎ、川崎市内で刃物を持った男が複数人切りつけられ負傷しているというもの。具体的な場所などが分からず、同じ市内には妻や我が子がいるので不安をいだいたものだ。
 そのうち第二報で、登戸駅付近とわかり、小学生が襲われたという情報も入ってきた。すぐさま、どこの学区なのか、被害の程度はどうなのか、など仕事柄心配で仕方なかった。
 第三報で事件の詳細な情報が入ってきたが、何の落ち度もない子どもが命を落としたと知り、私はともかく怒りと悲しみでいっぱいになったものだった。

 このブログをお読みの方で、既にお気付きの方もいらっしゃると思うが、私は元鉄道マンにして、現役の教員でもある。すなわち、今回被害に遭った子どもたちと同じ年齢の子どもたちと、常に接していることを生業にしている。それ故に、今回の事件は決して他人事ではない。

 今回の事件で被害に遭った子どもたちが通うカリタス学園は、私にとっても馴染みのある学校だ。
 というのも、30代初め、大学通信課程で学んでいた頃や、その後に小田急線沿線の職場に勤めていた頃、通勤や通学に登戸駅を利用したし、そこへ行くまでの路線バスの中でカリタス学園の児童・生徒をよく見かけた。小学生の子どもは、上級生が下級生の面倒をよく見ていて微笑ましくも感心させられた印象だった。

こんな異常なこと、誰が想像するのか

 朝「いってらっしゃい」「いってきます」と普段と変わらず学校に送り出した我が子が、このような事件に遭ってかけがえのない尊い命を失って帰宅するなど、誰が想像できるだろうか?
 誰一人として、このような想像する親はいないはずだ。
 そして、「行ってらっしゃい」と出かけていった父親が、二度と「ただいま」ということなく、二度と一緒に食事をしたり出かけたりすることができなくなるなど、予想する家族がいるだろうか。
 そんな予想をする家族などいるはずがない。
 しかし、現実として起きてしまった。

 池田小事件とその後

 いまから20年ほど前、ご記憶の方多いと思うが、大阪府池田市で起きた教育大池田小学校襲撃事件では、多くの小学校1・2年生が犠牲になった。安全だと信じられていた学校内で、侵入した男に刃物で切りつけられ多くの犠牲者を出した事件だ。
 あの事件直後、全国の学校では様々な安全対策が施された。
 学校の校門には強固な電磁ロックやカメラ付きインターホンが設置され、警備会社と契約してガードマンを巡回させる自治体もあれば、定年を迎えて退職した元警察官と雇用契約を結んで各学校を巡回させる自治体もある。
 そして、教職員はといえば、不審者の侵入を想定した訓練をするなどして、危機に対する意識を高め、自衛能力を身につけようとした。子どもたちにもまた然りで、不審者侵入を想定した避難訓練をカリキュラムに組み込み、授業の中で実施し安全対策を強化していた。

希薄化する安全への意識とその要因

 しかし、残念ながら安全に対する意識も時間とともに薄れていき、年を追うごとに安全対策の訓練も省かれていくようになる。
 時間とともに池田小事件のことが風化していってしまったこともあるが、何よりも池田小事件が起きた当時に勤務していたベテラン教員の多くが定年を迎えて退職していき、その補充に大量の若手教員が採用されてきたことで、世代交代が急激に進んだ。その結果、こうした意識や技術が継承されなかった、というのが現実でないかと分析している。

 今回の事件は学校内ではなく、通学途中で起きたということも、これまでの安全・防犯対策では難しい部分であるといえる。
 池田小事件の教訓は、そのほとんどが学校内でのものであった。
 そのため、学校外、特に登下校中の安全対策は、自動車事故に対応する内容であったり、不審者からの声かけに対応する内容であったりと限られているのが現実だ。
 言い換えれば、今回の川崎市で起きた事件のように、刃物を持った男に襲われるという事態はまったくの想定外であったといえる。そして、カリタス学園だけでなく、多くの学校では刃物を持った人間が、朝の早い時間帯の登校中に子どもたちを襲うなどということはこれっぽっちも想定していない。
 もっとも、危機管理という観点では、こうした特異なケースも想定内に入れて危機管理計画を立てることが基本だが、学校というところはこのような最悪を想定することが苦手でもある。

いま、そこにある危機に対してできることは

 とはいえ、ただただ手をこまねいて見ているというわけにもいかない。
 私たちにできることはやっていかなければならないといえる。
 では、どのようなことができるのか?

 考えられるのは、登下校中の見守り活動だろう。
 登下校する子どもたちを大人が見守ることで、不審者から子どもたちを守ることができる。しかし、問題は誰がそれをするのか、ということである。
 最も効果的なのは警察官がパトロールをすることである。しかし、実際にはそのようなことをすれば、私が勤めるところでは100人以上の警察官が必要だ。
 それでは教員がパトロールとして見守りをするということが考えられる。警察官までとはいかないが、それなりの効果もあり、何より子どもたちにとっては自分が通う学校の教員がいることは、安心材料としては強力だ。
 ただしこの方法では、この活動のために教員は出勤時間よりも大幅な超過勤務を強いる可能性も大きい。

 そこで、地域や保護者たちの出番であるといえる。地域の人や保護者たちがほんの少しの時間、登下校することもたちを見守ることで、子どもたちは安心をする。加えて、このような事件を起こそうとするような人物へ、無言の警告にもつながるであろう。私たちは安全に関心があります、というメッセージにもなり防犯効果が期待できる。

小さいことから始めてみる

 組織としてきちんとした危機管理計画(コンテジェンシープラン)が策定でき、それを実行に移すためには時間がかかる。まして学校の多くは公立なので、これもまたお役所的なスピード感のなさは否めない。

 そこで、組織としてのプランができあがるのを待っていては、時既に遅しということにもなりかねないので、通勤途中で少しだけ遠回りをしながら通学路で子どもたちの登校を見守るということが考えられる。

 こうすることで、一人でも大人が関心をもっていれば、それはそれでメッセージにもなるといえる。また、単に見守るだけでは効果もそれなりなので、例えば腕章のような物を身につけると分かりやすいだろう。
 私の場合、黄緑色の防犯ベストを着用することが多い。これを身につけていると、もの凄く目立つ。それ故に、防犯意識の高い大人が、子どもの登下校を見守っているというアピールにもなる。そんな大人がウロウロしていれば、今回のような事件を起こそうとしている人間に対しても、それなりの効果は期待できるかも知れない。

 いずれにしても、小さなことでもできることから始めていくことで、こうした事件を防ぐことができれば、最もよいことになるといえる。また、こうした事件を対岸の火事と捉えるのではなく、他山の石として捉えて自らに活かすことも重要であるといえる。

 

 末筆になりましたが、今回、この事件で尊い命を奪われ亡くなられた方に、心から哀悼の意を表するとともに、ご遺族様には心からお悔やみを申し上げます。また、負傷された方の一日も早い回復とお見舞いを申し上げますとともに、関係者の皆さまの心中をお察し申し上げます。