旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【8】

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《前回からのつづき》

 

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■特急「南紀」への運用拡大とその終焉

 同じJR東海が運行する名古屋発着の南紀方面の優等列車である特急「南紀」もまた、国鉄から継承したキハ80系によって運行されていました。

 特急「南紀」の歴史は意外にも浅く、1978年の「ゴー・サン・トオ改正」で名古屋から関西本線、伊勢線を経由し紀勢本線紀伊勝浦までを結ぶ特急列車として運転が始められました。

 その前身は、紀勢本線が全線開通した1959年にまで遡ることができ、当時は天王寺−名古屋間の準急「くまの」や臨時夜行準急「うしお」などといった列車がその源流と言えます。特に「うしお」は名古屋−紀伊勝浦間を関西本線の亀山を経由したルートを走っていたとはいえ、この距離を夜行で走るというのは今では考えられないことと言えるでしょう。蒸機が牽引する客車列車で、しかも単線区間が多い路線を走るために表定速度が遅かったため、こうした夜行列車も成り立っていたのではないでしょうか。

 その後、特急「くろしお」が天王寺−名古屋間に設定され、1973年に伊勢線が開通したことによって、「くろしお」の3往復が亀山経由から伊勢線経由に変更となり、現在の「南紀」の原型が出来上がりました。そして、1978年のダイヤ改正で、「くろしお」の系統分割として誕生したのが「南紀」だったのです。

 天王寺発着の「くろしお」が全線電化区間を走るため電車化されたのに対し、「南紀」は気動車のままで運転が続けられました。これは、紀勢本線の新宮以東と伊勢線が非電化のままとされたためで、引き続きキハ80系で運転されました。

 その「南紀」のキハ80系も、「ひだ」と同様に老朽化が進んでいました。「ひだ」が新型車両であるキハ85系に置き換えられ、利用者数が増加するなど一定の効果が見られたことを受けて、JR東海は「南紀」もキハ85系を増備して置き換えることにしたのです。

 1992年のダイヤ改正から、「南紀」の全列車がキハ85系による運転に置き換えられました。

 「南紀」に充てられたのは、半室グリーン車のキロハ84を含む4両編成で、名古屋方先頭車は非貫通のキハ85でした。「ひだ」のように途中駅での分割併合を行わないことから、この4両編成で全区間を走行し、中京圏から伊勢方面に向かう観光客を中心とした人々の貴重な足として活躍しました。

 しかし、ご多分に漏れず、高速道路網の整備が進むとともに、利用客は減少に転じてしまいます。そして、「ひだ」と共通運用されてきた4両編成から、2020年には「南紀」専用編成への組み換えが行われ、キハ85キハ85 1100番台の2両編成に改められるとともに、1989年の登場からすでに30年以上が経ち老朽化・陳腐化が進んだこともあって、後継となるハイブリッド気動車・HC85系への置き換えが始められました。

 

最短編成で走るキハ85系特急「ワイドビュー南紀」(出典:写真AC)

 

 2023年現在、「ひだ」は全列車がHC85系による運転に代わり、キハ85系の多くが後進に道を譲る形で引退、廃車となっていきました。残るは「南紀」の運用に充てられている2両編成のみとなり、こちらも2023年7月1日よりHC85系の投入が決まっており、この記事を執筆している時点で残り少ない日々を最後の活躍をしているところです。

 一方、JR東海での運用を終えて廃車になった気は85系のなかでも、幸運に恵まれたごく僅かな車両は、京都丹後鉄道に譲渡されました。非貫通型の先頭車であるキハ85 0番台で、4両が京都丹後鉄道に移動しています。このうち2両編成1本が運用に就く予定で、残りの2両は部品取り車としての譲渡でしたが、京都丹後地方に活躍の場を移していましばらくはその姿を見ることができることでしょう。

 国鉄の分割民営化により、新会社が自社の経営環境に適した設計でつくられたキハ85系は、国鉄時代の画一的な車両から大きく進歩した特急用気動車であり、車両の設計思想のみならず、乗客本位の思考に転換したことで、新しい時代の到来を告げたといっても過言ではないと思います。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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