3.185系電車の登場
(1)国鉄最後の新製特急形電車
185系は1981年に登場した。
それまでの国鉄の特急形電車といえば、151系「こだま形」を始祖とするクリーム色地に窓周りと車体裾と天部に臙脂色の帯を巻いた塗装で、先頭車はボンネット形あるいはそれを切り詰めた電気釜スタイルだった。
これは直流用の151・161系(後の181系)や交直流両用の485系ファミリーに共通しているもので、車両の広域異動を前提とした「標準化」によるものだったといえる。後に直流用の183系では若干仕様が異なったが、それでも「こだま形」のスタイルは概ね踏襲されていた。
言い換えれば、乗客は国鉄線上で旅行をするとき、特急列車を利用する場合にはこのカラーリングの電車を目指せば乗れるということだった。
▲国鉄の特急形電車は、国鉄線上どこにでも異動が可能なように「標準化」された設計思想でつくられた。このため、151系を始祖として直流用・交直流両用の車両が開発されたが、そのデザインやスタイルはほぼ変わることがなかった。(©Spaceaero2 [CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズ経由で引用)
ところが、これらのスタイルは1958年に設計されたもので、最も新しい183系が登場する1972年まで踏襲され続けてきた。しかし、30年近くも同じデザインの車両では、さすがに陳腐化も否めなくなってきたのであろう。80年代に入って開発されることになった185系は、国鉄が最後に開発・新製した特急形電車でありながら、大胆にもそのスタイルから脱却することになった。
(2)折衷的な内装
185系は基本設計からして、それまでの国鉄の特急形電車とは異なる設計しそうで開発された。
それというのも、国鉄としてはこの185系を他の特急形電車と同じように、全国の国鉄線上で運用するという想定を一切せず、あくまで東京とその周辺となる近郊区間内における優等列車でのみと絞り込んでいた。
また、当初から185系を運用すると見込んでいた東海道本線の東京近郊機関では、普通列車に3ドア・セミクロスシートの113系だけでなく、間合い運用で急行形の153系や、歴史を辿れば80系も普通列車として運用されていた。こうした背景もあり、特急形でありながら普通列車としても運用することを想定したため、多くのところが特急形らしくない設計になっていった。
こうした設計思想を背景としていたため、車体断面も従来の特急形のような丸みを帯びた低重心のものではなく、153系や113系とほぼ同じ形状の断面となった。そして乗降用のドアーは、特急湯形の標準である幅700mmの片開き引き戸ではなく、急行形の普通車と同じ1000mm幅の片開き引き戸となって、ラッシュ時などでよりスムーズに乗降ができるようにした。
さらに、従来の特急形車両は客室の窓がすべて固定式であったのに対し、185系の普通車は2連窓で1段上昇式のアルミサッシを採用。グリーン車もサッシを金色に塗装した小窓で同じく1段上昇式と、いずれも開閉可能という特急形らしからぬ仕様であった。
そして、この窓の遮光をするカーテンは、特急形であるため横引きカーテンが採用されたが、窓が開閉可能であるため、113系などと同じ巻き上げ式カーテンも併設されていた。
さらに、接客設備も急行形と特急形の折衷的なものであった。
普通車は従来の特急形電車に採用されていた簡易リクライニングシートではなく、リクライニングができない転換クロスシートとなった。この座席は事実上の兄弟形式となった117系と同じ構造で、料金を徴収する特急形としては接客サービスの水準が大きく落とされた感も否めなかったという。これもまた、普通列車として運用されることを前提としていたため、使い勝手を優先させたためであるといえる。
▲国鉄時代の185系普通車の座席。左右の座席は背もたれがつながっており、リクライニングができな構造であることが分かる。185系は普通列車としても運用することが前提とされたため、接客設備の水準を落としてでも使い勝手を優先させた。このことが、特急形としては利用客から非難されることになり、分割民営化後に早期にリニューアルされていくことになった。(©Kei365 [CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズ経由で引用)
さすがにグリーン車にまでサービス水準を落とすわけにはいかず、こちらは赤系のモケットを張ったリクライニングシートを採用しており、185系より少し前に開発されたキハ183系のグリーン車と同じ座席を1,160mmという広いシートピッチで備えられた。
いずれにしても、特急列車だけでなく普通列車にも使おうとする設計思想は、特急形としては非常にサービス水準が低いものになってしまった。いくら地域を限定して運用するとはいえ、さすがに利用客の評判は芳しくなった。こうしたあたりも、財政が火の車となり、可能な限り少ない投資で最大の収益を上げようとする国鉄の事情が反映されたものだといえる。