旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【5】

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4.185系の歩み

(3)新前橋の165系置換えと東北・上越新幹線大宮暫定開業

 185系東海道本線を走り続けてきた急行形である153系の老朽取替と、急行「伊豆」の特急格上げ用として設計・製造された特急形電車であった。その目的の通り、0番代は115両全車が東海道本線車両基地である田町電車区(後に田町車両センター、さらに現在は東京総合車両センター田町センター)に配置された。

 一方、同じ頃、高崎線の新前橋電車区に所属する165系の老朽化・陳腐化が課題になっていた。

 165系は153系よりも5年後に開発・製造された急行形電車。153系の設計を基本にし、主電動機を153系の100kWのMT46から110kWのMT54へ変更し、出力を増強させた。そして、中央本線高崎線など勾配の多い路線で使用することを前提としたため、抑速ブレーキや自動ノッチ戻し機構を備えたCS15制御器を装備した。抑速ブレーキを使用するため、主抵抗器の容量も153系よりも大きくしている。

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 温暖で平坦な路線で使うことを前提とした153系と比べて、165系が活躍するこれらの路線は気象条件も過酷であった。勾配の多い山岳部の路線は、冬季は雪が降り寒いところが多い。そのため、耐寒耐雪装備ももたされていた。

 こうした装備をもって過酷な運用を長年続けてきたため、153系に比べて新しいとはいっても、既に1980年代に入った頃には製造から20年以上が経ち、それなりに老朽化は進んでいたたと考えられる。

 そんな中、かねてから建設が進められていた東北・上越新幹線がようやく開業する見込みとなった。

 新幹線が開業すれば、在来線の優等列車は真っ先に整理の対象になる。特急、急行を問わずに行われるが、中でも急行列車は淘汰の対象になることが容易に想像できた。よしんば残ったとしても、そのまま急行として残されるのではなく、特急への格上げという形になる。そうなれば、急行形の165系は仕事を失い余剰となるので、更新工事をする必要もなくなり経費を削減でき、特急への格上げにより料金収入を増加させることもできるので、国鉄にとってはまさしく一石二鳥という案配だった。

 こうしたことが背景となり、国鉄は新前橋配置の165系置換用として185系200番代の製造を始めることになった。

 185系200番代は基本的な設計は東海道線用の0番代と同じであった。しかし、こちらは高崎線から信越本線上越線東北本線での運用を想定しており、東北や北陸などといった豪雪地帯とまではいかないものの、関東北部から上信越という寒冷地を走ることが前提であったため、0番代に耐寒耐雪装備をもたせた仕様となった。

 200番代で最も目立つ違いは、前面の愛称幕窓の下に設けられたタイフォンのグリルである。0番代では格子状のメッシュであるが、200番代はここから雪が入り込まないようにカバーが設けられた。

 そして塗装は0番代で採用されたクリーム10号の地色に緑14号の斜めストライプという斬新なデザインではなく、同じクリーム10号の地色に幅300mmの緑14号の帯を窓下に配した比較的おとなしいデザインとなった。

185-200 Shinkansen Relay Omiya 1982
▲東北・上越新幹線が大宮暫定開業となり、都心部からの利用者を専用列車「新幹線リレー号」で結んだ。新幹線特急券を持っていないと乗車できないという、国鉄の列車の中でも特異な運用がされた。その専用列車用として、185系に耐寒耐雪装備を持たせた200番代を製造してその任にあたらせた。塗装も田町に配置した0番代と異なり、新幹線の200系の塗装デザインに通じるおとなしいものとなった。(©)​Japanese Wikipedia user Peee [CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズ経由で

 これは、200番代が新製直後に就く仕事が、大宮駅に暫定開業した東北・上越新幹線の利用客を上野-大宮間で輸送する専用列車「新幹線リレー号」であるため、東北・上越新幹線を走る200系に類似したデザインとしたためであった。

 また、200番代は信越本線の隘路である横川-軽井沢間の碓氷峠を走るための装備、通称「横軽対策」をもたされていた。

 国鉄でもっともきつい67.7‰(パーミル)という急勾配がある信越本線碓氷峠。この峠を通過するすべての列車には、補助機関車であるEF63が連結される。
 そのため、貨車や客車を除く車両には、特殊な装備をもつことになっており、連結部や台枠を強化した構造とし、台車の空気バネをパンクさせることができるようにし、さらに軽井沢方の先頭車(下り列車の先頭車で、峠を越えるときには標高が高い側になる)の運転室内には車掌弁(車掌が操作することにより非常ブレーキをかけることができるためのブレーキ弁)が追設されていた。

 これら0番代とは若干異なる装備と外観で登場した200番代は、1982年3月から当初の目論み通りに、新前橋電車区に配置されている165系が担っていた急行列車の運用に就いた。田町に配置された0番代と同様、こちらも特急形として製造されながら、最初の仕事は格下となく急行で仕事を始めるという異例のこととなった。

 そして、東北・上越新幹線都心部での用地買収が難航したために建設が遅れていた。そのため、1982年に上野-大宮間を残して大宮起点で暫定開業させることになり、新幹線の利用客を上野-大宮間で輸送する専用列車となる「新幹線リレー号」として運用するため、200番代を49両追加製造して対応し、東北・上越新幹線が上野まで延伸する1985年まで上野-大宮間で走り続けた。