旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【4】

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《前回のつづきから》

 

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■西武が「サステナブル車両」という他社車両を譲受する背景

 西武鉄道は、戦後間もない頃から国鉄の戦災国電や廃車発生品を大量に払い下げを受けて、車両の近代化と拡充を図ってきました。1946年に開設した所沢車両工場で戦災国電を復旧・整備して自社車両として復帰させたり、車体を製造し廃車発生品を載せて新たな戦力としたりしていました。

 そのため、主制御器や主電動機といった電装品の多くは国鉄制式のものやその同等品を装備したため、長らく抵抗制御を採用していました。また、台車も国鉄制式のものを好んで使うことが多く、付随台車はイコライザー式のTR11やTR12を、電動台車は吊り掛け駆動車ではTR14→DT10を、カルダン駆動に変わってからはDT21と同一形式となる住友金属工業製のウィングばね式金属ばね台車であるFS342を採用していました。

 これは、私鉄の中でも広大な路線網をもつため、多くの車両を必要としたことに起因していると考えられます。列車の運行に必要とする車両を可能な限り多く保有するためには、その製造コストを可能な限り抑えなければなりません。終戦直後、疲弊した鉄道の輸送力を確保するため、運輸省は規格型と呼ばれる車両に限って新製を許可し、その数も鉄道事業者の実態に応じて割り当てるという政策を実施しました。この政策では、20m級大型車は国鉄の63系電車を、18m級中型車は規格に沿った設計と電装品を採用した車両を新製して割り当てるというもので、多くの私鉄ではこれを受け入れましたが、西武はこのことによって会社の経営が国の統制下に置かれることを嫌い、規格型車両の割当を辞退して独自に車両を調達したという経緯もあり、可能な限り国鉄の廃車発生品や同等品を使うことで、多くの車両を調達することを可能にしたのです。

 

西武鉄道は、終戦以来国鉄の制式機器を多く採用することにより、開発・製造にかかるコストを抑えながら大量の車両を増備してきた。言い換えれば、実績がある信頼性の高い機器を装備しているといえたが、一方では急速に進展する技術の発達からは遅れ、国鉄と同様に新機軸の導入には消極的になってしまったと考えられる。大手私鉄ではチョッパ制御が普及したのとは裏腹に、長らく抵抗制御を使い続けてきたといえる。写真は西武から譲渡された三岐鉄道601系。西武時代は451系と名乗り、主電動機はMT15、台車もTR11、TR14を装着した吊りかけ駆動車だった。その型式名が示すように、国鉄の制式品そのものだった。三岐線入線時に台車は交換され、ペデスタル式軸箱支持・空気ばね式台車であるFS40と、アルストム式軸箱支持のFS30に換装された。(©E56-129, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 こうすることで、西武は新たな車両開発にかかるコストをなくし、製造にかかるコストを最小限に抑えることができました。また、自社で運用する車両を車両製造メーカに外注するのではなく、自社の所沢車両工場で製造することで資金の「持ち出し」を極力抑えることも実現したのでした。

 こうした背景もあって、西武の車両は非常に手堅く保守的な設計となり、1960年代後半には長年のライバルだった東急が界磁チョッパ制御を開発し量産化した8000系を導入、1970年代に入ると小田急9000系界磁チョッパを採用し、1980年代に入る頃までには多くの大手私鉄で経済性に優れるこの制御方式を採用し運用する中で、西武は1960年代中頃まで抵抗制御と吊り掛け駆動という、国鉄でいえば旧型国電に相当する車両を導入し続けました。

 1963年にようやくカルダン駆動を採用した601系を製造したものの、主電動機は国鉄のMT54と同等品の日立製HS-836を搭載し、在来車との併結などを考慮したため、主制御器は力行23段のみとなる日立製MMC-HT-20Aを搭載しました。そのため、発電ブレーキがなく、当時、新性能電車の多くで装備していた電磁直通ブレーキ(HSC)すら採用せず、制動装置は旧来からの自動空気ブレーキのみという旧性能電車と同じ制動性能しかもっていませんでした。

 さすがにそれではとなったのでしょうか、701系からは発電ブレーキの装備はなかったものの、ブレーキの応答性能を高めた電磁直通ブレーキ(HSC)が採用され、ようやく車両の近代化が始まりましたが、発電ブレーキのない電空併用式電磁直通ブレーキ(HSC-D)と比べると、その制動性能は限定的だったといえるでしょう。

 また、空気圧縮機や電動発電機といった補機類に至っては、驚くことに旧型国電の廃車発生品を国鉄から購入してこれを整備したり、あるいはまったく同一の機器を新製したりした上で新製車に装備させていました。この方針は、当時の西武の看板列車だったレッドアロー用の5000系特急車にまで採用していたことから、いかに車両の製造にかかるコストに厳しく、質より量を求めた経営方針が伺い知れるものといえます。

 このように、よく言えば「手堅い」車両の設計製造方針はその後も徹底され、1969年から製造され一大勢力を築くことになった101系になって、ようやく発電ブレーキを装備したHSC-Dブレーキを採用。台車も401系(2代)からペデスタル式軸箱支持の空気ばね台車であるFS372/FS072を装着するなど、徐々に変化していき国鉄の廃車発生品や同等品を使う長年の方針から脱却しつつあったのでした。

 

《次回へつづく》

 

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