旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 世の中には、時として「度肝を抜かれる」ほど驚かされることがあります。「あり得ない」「本当か?」などと思わず口にしてしまう程のことで、何にせよ、それまでの常識を言葉通り打ち破るほどのインパクトを与えてくれます。

 2023年9月の終わり、西武鉄道から「衝撃的な」発表がなされました。同社は以前より、残存する抵抗制御車を置き換えて電力使用量と二酸化炭素の排出を削減するため、他車で使用されているVVVFインバータ制御車を譲受すると報道発表をしていましたが、その譲受する予定の車両が決まったとのことでした。

 以前からの発表では、VVVFインバータ制御を採用し、かつある程度の車齢を重ね、今後新型車に置き換えられると想定され、さらに西武鉄道の路線条件である20m級大型車というすべての条件を満たすものは限られると考えていました。

 その条件に合致していると考えられていたのは、東急電鉄保有する9000系と9020系です。現在、9000系は5両編成15本、9020系は5両編成3本の合計90両が運用されています。西武鉄道の計画からは10両が不足するので、ほかにも似たような車両はないかと考えましたが、なかなか考えうる候補がありませんでした。

 ところが、今回の報道発表では、東急電鉄から9000系を譲受するとともに、小田急電鉄から8000系も譲受するとのことでした。さすがに過去に熾烈な争いを演じた競合相手の小田急電鉄、それも鋼製車の8000系とは微塵も考えなかった想定外の車両だったので、言葉通り度肝を抜かれるほどの驚きでした。

 

西武多摩川線などの支線で活躍をする新101系。西武鉄道の車両は長らく自社の所沢車両工場で製造され、多くが抵抗制御で普通鋼製だった。界磁チョッパ制御やVVVFインバータ制御といった電力消費量を抑える技術を採用したのも、他社に比べて遅めであったため、現在もこうした車両を運用している。広大な路線網をもつがゆえに、必要な車両が多いことも省エネルギー性の高い車両の導入を遅らせ、他社から車両を譲受することになった遠因ともいえる。(©MaedaAkihiko, CC BY-SA 4.0, 出典:ウィキメディア・コモンズ)

■観光地の覇権を巡って熾烈な争いを演じた西武鉄道 VS 東急・小田急

 西武鉄道は東京西部から多摩地方、埼玉県南西部に鉄道網を張り巡らす大手私鉄の一社です。その源流は神奈川県の箱根地域を開発する箱根土地という会社に求めることができ、この会社は後に国土計画を経てコクドとなり、リゾート開発を手広く手掛けていました。(2006年に旧プリンスホテルに吸収合併して解散)

 もともとは鉄道事業を営む企業ではなく、1912年に設立された武蔵野鉄道と1892年に設立された川越鉄道(後に西武鉄道(旧))の経営に、創業者である堤康次郎が関わったことなど、さらに戦時中の陸上交通事業調整法により武蔵野鉄道西武鉄道(旧)を統合して現在の西武鉄道になったのでした。

 その西武鉄道は、祖業とも言えるリゾート開発も手掛けていましたが、特に箱根や静岡県伊豆半島東部、そして群馬県軽井沢という首都圏周辺の観光地開発に力を入れていた時期がありました。

 その一方で、同じデベロッパーが祖業となった東急電鉄(現在の東急株式会社)、戦時中の統合によって一時期東急電鉄となり、戦後に分離した小田急電鉄もまた、西武鉄道が開発を手掛けていた地域で、同じく観光地開発を手掛けていました。

 当然、西武鉄道東急電鉄小田急電鉄との間に大きな利害関係が生じ、後に「箱根山戦争」「伊豆戦争」などと呼ばれる企業間の熾烈な闘いが展開されました。

 箱根では、西武鉄道傘下の駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)と小田急電鉄傘下の箱根登山鉄道が、伊豆半島東部では伊豆箱根鉄道東急電鉄の子会社である伊豆急行が、さながら冷戦時代の「代理戦争」に似た様相でその開発と利権を巡って熾烈な争いを展開したのでした。

 箱根における争いでは、麓にあたる小田原駅から箱根各地に伸びるバス路線で両社が乗客を奪い合い、駅前では自社のバスに誘客しようと拡声器の音量を最大にして怒鳴り合う始末で、国鉄の駅長が注意してもほとんど効果がなかったと言われています。路線網の展開でも、駿豆鉄道が小田原駅乗り入れを運輸省に申請すると箱根登山鉄道は猛反対したものの、戦後に施行された独占禁止法などによって申請が認可されると、今度は箱根登山鉄道が駿豆鉄道が運営する有料道路への乗り入れの認可申請をし、駿豆鉄道はこれに反対するといった泥試合の様相を呈していました。結局、運輸省は両社に乗り入れ協定を結ぶように勧告しましたが、西武側は「官僚に脅されて」、箱根登山側も「仕方なく」その勧告に従って運輸協定を結ぶことになりました。

 一方、このような争いは箱根でも随一の景勝地ともいえる芦ノ湖でも展開されました。

 もともと、芦ノ湖の遊覧船は箱根渡船組合と箱根町渡船組合という二つの事業者によって運航されていました。既にこの二つの事業者の間でも観光客の奪い合いは展開されていましたが、1920年堤康次郎率いる箱根土地(現在のプリンスホテル)が設立されると、芦ノ湖の二つに遊覧船事業者を合併させて箱根遊船が設立されました。この箱根遊船は後に駿豆鉄道と合併して駿豆鉄道箱根遊船となり、戦時中に駿豆鉄道へと名を変え、戦後に芦ノ湖遊覧船となりました。(2023年に富士急行へ譲渡されると、西武グループから離れるとともに箱根遊船(二代目)に商号を変更)

 

《次回へつづく》

 

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