◆全般検査
小倉車両所には検査期限が近づいた機関車や貨車が、あらかじめ決められたスケジュールでやってきていた。小倉車両所では、九州支社管内に配置されている機関車(この頃は既に門司機関区だけになっていたが)や管内に所在している貨車、さらに旅客会社が所有する機関車も担当していた。
毎朝の点呼・朝礼では、その日に入場してくる車両の形式、番号、検査の種類が車両技術主任から知らされる。そして、それをもとにその日に班ごとに担当する作業の指定、担務指定が知らされるのだ。
もともと一つの組織だった国鉄小倉工場が、分割民営化で客車や電車、気動車といった旅客車両とそれに関連する艤装品の検査を担当する職場がJR九州に引き継がれ、機関車と貨車を担当する職場がJR貨物に引き継がれて小倉車両所となった経緯をもち、まったく別組織とはなっているものの、すべての部品の検査を小倉車両所が単独でするのではなく、一部はJR九州に委託していた関係で、小倉車両所が擁する職場はあまり多くなかった。
私は一週間ごとに各職場で研修を受けることになった。2つめの職場で研修を受けていたある日の朝の点呼で、車両技術主任が「本日の入場は全検でED76形式1016号機、出場はコキ50000形式の・・・」と知らされた。
機関車の全般検査、子どもの頃に雑誌で全検入場した機関車の記事を読んだことがあるが、とにかく大がかりなことだったということだけは覚えていた。それが、目の前で始まると思うと興奮せずにはいられない。
「ナナロクの全検かぁ。カマの全検は多くないから運がええけんな。艤装に行って、ちょっち手伝ってしっかり見てきいや。クレーンで車体を持ち上げるのは壮観じゃけんのぉ」
九州訛り全開で、主任が言ってくれたので、私は艤装班に手伝いに行くことになった。
艤装班の職場に行くと、ちょうど引き込み線と繋がっている建屋の中に、工場入換用のDD16形に押されて、真っ赤な車体のED76形が入ってきたところだった。間近で機関車を見るのはこの時が初めてで、とにかくその大きさに圧倒されたことを憶えている。
機関車が所定の位置に停まると、勝手に動き出さないように動輪に手歯止めをはめ、安全確認がとれた時点で待ち構えていた艤装班の人たちが一斉に作業を始めた。
もちろん私も一緒になって作業に加わったが、何をどうすればいいのか当然わからない。私の面倒を見てくれることになった先輩は、「まずは下回りからっちゃ」といい、台車やその周りから作業を始めると教えてくれた。
機関車の下回りに潜り込むと、そこには大きなモータと動輪、そして複雑な機械類で占められていた。私は先輩に言われたとおりに、ハンマーとピンポンチを使ってボルトの抜け防止のためにはめられている割ピンを無我夢中で外していったものだった。
台車や電動機、ブレーキ関係の配管などなそ下回りと車体を切り離すまでの作業はほぼ一日かかった。電気機器やブレーキ関係の機器などすべてが床下にある電車とは違い、電気機関車はそれらの機器がすべて車体の中に納められている。おまけに電車のものとは比べものにならないくらい大容量の電流を扱う機器は、その大きさも桁外れだった。それもそうだろう、1000トンもの重量がある貨物列車をたった1両で引っ張るのだから、それだけ大きな出力が必要になる。その出力に比例して、機器の大きさもまた大型のものになるからだ。