旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

いろいろある貨車の標記の意味【2】

広告

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 

■突放禁止

 鉄道による貨物輸送が車扱貨物全盛だった頃、ほとんどの貨車は操車場に集められて、方面別に仕訳、そして着駅の方へと向かう列車に連結するという作業を繰り返していました。貨物取扱駅からやってきた解結列車は、到着線に着くと機関車が切り離され、代わりに入換機関車が最後尾に連結されると、ハンプと呼ばれる人口の丘を押し上げられていきます。そして、頂上部でその貨物の目的地に向かう列車に仕立てるために貨車を切り離し、今度は丘を転がり下りるようにしました。

 これを「突放」といい、貨車は重力によって独りで走るのでした。突放された貨車には待機している操車掛の職員が飛び乗り、手ブレーキや足踏みブレーキといった留置用ブレーキを使って減速させ、連結作業をしていたのでした。この作業は鉄道職員の中でも非常に危険が伴うもので、貨車への飛び乗りに失敗するとブレーキをかけることができず、留置してある貨車に激突させてしまうこともしばしばありました。また、飛び乗りに失敗したり、小さなステップに飛び乗っても足を滑らすなどして転落した場合、貨車の下回りに巻き込まれてしまうこともあり、よくて四肢の切断、最悪の場合は貨車に轢かれて命を落とすことも多かったそうです。

 実際、筆者が小学生の頃、跨線橋から貨車の入換作業の様子を眺めていた新鶴見操車場でもこうした操車掛の触車事故は多くあったと言われ、当時の国鉄職員は「鬼のハンプ、地獄の鶴操」と恐れられていました。日本の三大操車場に数えられ、しかも首都圏にある大規模操車場であることから、その取扱量は群を抜いて多かったため、こうした突放・仕訳時の触車事故が多発したものと考えられます。そして、現在の新鶴見信号場の構内、御幸跨線橋のたもとには殉職職員を慰霊する慰霊碑が建立され、現在も駅長以下の職員が志半ばで職に殉じた先輩方を弔っているそうです。

 その操車場も、国鉄の貨物大整理が行われた1984年11月のダイヤ改正で機能を停止すると、危険が伴い職員の命をも奪った突放が急激に減りました。そして、1987年の分割民営化で設立されたJR貨物は、貨車の入換作業における突放を原則として禁止するようになったのです。

 とはいっても、操車場がなくなり突放が原則禁止になったとはいえ、貨車の入換作業そのものはなくなりませんでした。特に東京貨物ターミナル駅などといった大規模の貨物駅では、発着する列車が多く、貨車の連結や切り離しが多く行われていました。これは、編成中に法定検査が近づいている車両を抜き取ったり、逆に検査を終えた車両を組み込んだりするといったことが行われていたためでした。しかし、過密なダイヤと取扱車両数の多い駅では短時間でこれらの入換作業を行わなければならず、規定通りの作業では時間内に終わらせることができなかったため、突放によって時間短縮が図られていたのでした。

 

分割民営化後、JR貨物は輸送力の増強と高速化、そして従来のコンテナよりもサイズが大きい規格外コンテナの運用を可能にするため、床面高さを低くしたコキ100系を開発・量産している。国鉄時代に製造されたコンテナ車の多くは、デッキに留置ブレーキのハンドルを設置していたため、突放による入換作業が可能だった。しかし、突放は制動力を人力操作による留置ブレーキで減速させていたため、操車をする輸送係の力量に左右され、しばしばオーバーランや連結相手との衝突事故を起こしていた。また、最悪の場合は輸送係が車両から転落して、人身事故に発展するケースもあった。そのため、JR貨物は原則として突放による入換作業を禁止したほか、物理的に突放できないように留置ブレーキのハンドルを車体側面に移した。こうした車両には、誤って突放をすることがないよう、車体に「突放禁止」の標記が記されている。(コキ104−340 新鶴見信号場 2012年 筆者撮影)

 

 実際、筆者が福岡貨物ターミナル駅に勤務していたトキ、入換作業用の機関車(これを「入機」といった)であるDE10形に添乗していたとき、真夜中であるにも関わらず、操車を担当する輸送係から入換用無線で「コキ車3両をもって突放!」などと指示が入ると、DE10形の機関士はブレーキハンドルを操作して緩解させ、続けてマスコンのノッチを上げると、巨大なDML61形エンジンが咆哮を上げながらぐいぐいと速度を上げていきました。そして、20km/h程度になるといきなりマスコンのノッチを「切」の位置へ戻すと、咆哮を上げていたディーゼルエンジンが急激に回転を落とす独特の唸りを上げ、同時に単弁を回して機関車のみにブレーキを操作して急減速させました。当然、連結器が開放位置になって、ブレーキホースも外されていた貨車はその惰性で走りさっていき、あらかじめ突放されるコキ車に乗っていた輸送係は手ブレーキのハンドルを回して速度を調整しながら、目的の貨車への連結をしていました。

 しかし、この突放ができるコキ車は、デッキ部分にてブレーキハンドルを備えたコキ5500形かコキ50000形に限られていました。他方、続々と新製増備が進められているコキ100系ではこの突放ができない構造のため、正規の手順での入換作業を行っていました。

 ところが、民営化後に製作増備されたコキ100系は、こうした突放による入換作業ができない構造になっていました。初期のコキ100系は4両1ユニットを組んでいたため、ユニットごと突放をすることで、惰性で走行するときの勢いがあまって十分な減速ができないまま連結時に衝突事故を起こしかねませんでした。さらに、ユニット両端部にはデッキが設置されていましたが、この位置には手ブレーキハンドルがなく、代わりに車体側面に手ブレーキハンドルが設置されています。そのため、コキ100系は構造上、突放をすることができないため「突放禁止」の標記がなされているのです。もっとも、コキ107形はデッキに手ブレーキハンドルが設置されていますが、やはり「突放禁止」の標記が書かれているため、入換作業時の突放をすることができません。

 コキ100系のように車両の構造による「突放禁止」に指定されるものもあれば、積荷の性質から突放を禁止されている車両にも「突放禁止」の標記が書かれているケースもあります。

 ワキ5000形はパレット輸送に特化した汎用有蓋車であるワム80000形を大型化し、2軸ボギー台車を装着した大量輸送用の有蓋車です。その一部はオートバイ輸送用に棚を設けて二段積みにし、製品であるオートバイを固定する緊締装置も追加されました。原付クラスの小型オートバイを全部で112台も載せることができる、この物資別適合貨車となったワキ5000形も「突放禁止」の標記が書かれていました。突放による連結失敗時に大きな衝撃が車体に加わることにより、積荷のオートバイが破損することを避けるための措置で、同様に積荷の破損防止の観点から、「突放禁止」に指定された例はいくつかあったのです。

 

《次回へつづく》

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info