◆門司機関区での添乗実習・・・関門トンネル【中編】
門司機関区構内の機待線と呼ばれる留置線は、機関区から本線または門司駅や門司操車場(操車場機能は既に停止していたが、東小倉駅などへの信号場としての機能は残されていた。部内では「門操」と呼んでいた。)へ出区する機関車が待機する線路だ。この時は上り機待線だったので、出区するとすぐに門司駅の場内へと入っていき、関門トンネルを抜けて山陽本線の幡生駅に隣接する幡生操車場へ九州内へ乗り入れる貨物列車を迎えに行く、という仕業だった。
前回までは・・・
まだ梅雨明けはしていないといってももう夏の暑さだ。ただでさえ気温が高いのに加えて、機関車の運転台は機器室から漏れてくる熱で運転台は蒸し風呂状態。さすがに暑いと窓を開けようとすると、「まだ窓を開けるな」と機関士がいう。
ううむ、将来こういう環境で仕事をするのかと想像をすると、さすがに鉄道の仕事というのはかくも過酷なものなんだと改めて認識したものだ。
もっとも、この時機関士が窓を開けるなといったのには理由があった。
運転台の細い窓越しに見ていた信号機が赤色から青色に変わった。つまり、門司駅場内へ進入ができる「進行」を現示したのだ。
機関士が「場内、進行!」と大きな声で喚呼し、右手で信号機を指差して確認をする。と、左手で握っていたブレーキハンドルをひねり、次いで右手で大きなマスコンのノッチレバーを手前に引いた。
すると、重量のある大きな車体がモーターの唸り音を上げながらゆっくりと前進しだした。
もうこの時の私は機関車が動き出しただけで興奮してしまった。
まさに、子どもの頃から憧れていた夢に一歩近づいた瞬間だったからだ。
ところが、
「復唱しよらんか!機関士になるんじゃったら、今のうちから練習しよっても損はなかろう」
と、モーターの唸りに負けない大声で機関士が怒鳴った。
私はハッと我に返り、子どもみたいに興奮した私を叱りつけたのかと恐る恐る機関士の方を盗み見ると、なんと機関士の口元は笑っていた。
なんだ、怒られたんじゃないのか。と胸をなで下ろし、すぐに機関士がした指差喚呼を真似て、
「場内、進行っ!」
と大声で復唱し、信号機を指差確認したつもりだった。つもりというのは、既に信号機を通過した後だったからだ。ああ、とうとうしでかしてしまったと後悔するが、すぐに気を取り直して次の指差喚呼は機関士が喚呼した直後にしようと窓の外を睨みつけるように見た。もう、前方からの展望を楽しむなんていう余裕はない。
門司駅の場内に入るとホームのない中線を抜け、出発信号機が進行を現示しているのを確認すると、そのまま山陽本線へと入っていく。すると、機関士はそれまでノッチを「SP(シリース・パラ)」の位置にしていたのを一気に押し戻して動輪を動かしているモーターへの電気を切った。
速度は時速45キロメートルもいっていないのに何が起きるんだろう?
重連のEF81形はそろそろと門司駅の場内から、山陽本線の関門トンネルへと繋がる直線を進んでいた。
やがて機関車に流れていたすべての電気が切れてしまい、モーターの音だけではなく、機器室にある抵抗器を冷やすためのブロワー(大型の送風機)の音まで切れた。
私は何が起きたのか分からず、周りをキョロキョロと見回してしまった。
機関士は慣れているのか動じるどころか、ニヤニヤと笑っているようにも見えた。
幡生操車場に着いてから機関士が教えてくれたのだが、この電気がすべて切れたところが「デッドセクション」と呼ばれる所だった。以前にも書いたように、九州内の電化路線はすべて交流2万ボルト。ところが、関門トンネルより東の本州は直流1500ボルトで異なる電気が使われている。
©Tam0031 Wikimediaより
その電気を切り替えるところが、門司駅の東京方に百メートルも行かないところに設けてある。一見するとわかりにくいが、架線に絶縁体(プラスチック)を挟んで、電気が流れていない架線を構成している。これが「デッドセクション」。その距離は30メートルにも満たないものだが、本州側の直流1500ボルトと九州側の交流20000ボルトを電気的に区切っている重要なところだ。
電気が流れていないと機関車や電車は走らないのでは?と思われるかも知れないが、それほど長い距離ではないでの、機関車や電車は惰性で走り抜けることができる。その間に、車両側で交流と直流の回路を切り替えいる。
もちろん、この時に乗っているEF81形は交直両用なので、このデッドセクションに入る前に機関士はマスコンのノッチを切って、交直切替スイッチを操作している。そして、デッドセクションに入ると、とそれまで交流側だった機関車の回路が直流側に切り替わり、やがてデッドセクションを通過すると再び機関車に電気が供給されてきて、沈黙したブロワーやモーターが再び息を吹き返した。