旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運のハイパワー機 期待を一身に背負ったはずが【3】

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 新鶴見機関区を住処にしたEF200形の試作機901号機は、廃棄目前のコンテナに死重を積み込んだコンテナ車を牽いて試験を続けます。当初の予定どおりに6000kWという出力の余裕からくる性能のおかげで、20両編成1000トンの列車を余裕で牽くことができました。さらに、予定している1600トン26両編成というこれまでにない重量と長さの列車を牽いた時、このハイパワーが逆に仇になることが発覚しました。

 前回までは

 

 それは、それだけの高出力を出そうとすると、機関車1両だけで多くの電気を消費するために、地上の変電設備が追いつかなくなってしまったのでした。地上の変電設備は線路と同じく旅客会社が保有するもので、貨物列車の、それもたった1両の機関車のために変電設備を壊されてしまってはたまったものではありません。壊れないまでも、多量の電気を消費することで架線の電圧が下がると、他の列車に供給できる電気が少なくなってしまい、走ることすらままならなくなってしまいます。
 旅客会社はJこの電気を大食いするEF200形の導入を快く思いませんでした。
 しかし、JR貨物としても列車の増発をはじめ、ダイヤ編成に縛りがあるため早々と諦めるわけにもいきませんでした。

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 加えて、景気拡大で貨物の輸送量は増える一方で、日本の物流を支え続けた長距離トラックのドライバー不足も深刻な状況にある中で、長距離・大量輸送に有利な鉄道貨物の強化は国としても喫緊の課題となっていました。いわゆる「モーダルシフト」です。
 国からはモーダルシフトの名の下に輸送力の増強を迫られ、旅客会社からは新型機関車に対応した変電設備などの増強を拒まれるという板挟みになりました。しかし、EF200形は一定程度の目処が立ったことと、将来の輸送力増強とそれに付帯する設備の強化を見越して量産が決定されました。
 そして、1992年から量産機の製造が開始され、試作機である901号機と同じく新鶴見機関区に配置されました。全部で20両の量産機は、翌1993年の1年間に製造されます。1年の間に、高価な機関車を一気に20両を製造するというのは、よほど体力のある企業でなければ成しえません。1991年のバブル経済破綻と、それにともなう貨物輸送の需要低下を考えると、ある意味かけに出たのだとも受け取れます。