本日、ブログを開設してから1年が経ちました。
日頃からお読みいただいている皆様がいらっしゃるからこそ、続けてこられました。
それにしても1年って、あっという間ですね。
いえ、毎年「あっという間」というのは経験しているんですけど、やはりふりかえって見ると感慨深いものがあります。
悲しいかな、歳を追うごとにその速さは毎年加速している気もしなくもないですが・・・(笑)
ところで、「ありがとう運動」ってご存知ですか。
初めて聞いたという方もいらっしゃるかも知れませんね。私も、この言葉を聞いたときは「へえ~」と思いましたから。
人に何かをしてもらったとき、感謝の気持ちを「ありがとう」という言葉で伝える。ただそれだけだそうです。
う~ん、簡単ですね。
いえ、それでは話が終わってしまいます。
私が初めてこの運動を知ったのは、かれこれ20年以上も前。ある大手の警備会社に勤めていた頃です(いったい、どれだけ転職しているんでしょうか(^0^;))。
会社は社会や人によって生かし生かされているという、創業者の理念を具体化したものだそうです。常に感謝の気持ちをもつことを会社の是としていたので、非常に分かりやすい話でした。
その後も仕事は変わっていきましたが、それ以来、常に頭の片隅に「感謝の気持ち」というのがありました。ハイヤーの乗務員をしていた頃、会社の営業者にも「感謝と安全」という標語を書いたステッカーが貼られていたのを見て、ああどこも同じ、感謝の気持ちを忘れてはならないんだと思いました。
最近では、その感謝の気持ちを表す「ありがとう」という言葉、ちょっと変化してきたかな?と思うことがあります。
例えば「ごめんなさい」。過ちを犯して相手を傷つけたことに対して謝罪するというのは、心の底からその気持ちを言葉に表して伝えないと、本当の意味での謝罪ではありませんよね。
謝罪を受けた方も、その気持ちが伝わって初めて「許してもいいかな」と思い、「いいよ。今度からは気を付けてね」といった言葉になって相手を許します。そして、許してもらった方も、初めて「許されたんだ」ということが分かります。
ところが、やたらと「ありがとうございます」を連発されると、本当に「感謝の気持ち」を込めているのかな?なんて、考えてしまうこともしばしばあるんです。いえ、穿った見方なのは十分分かっているんですけど、ついつい考えてしまうんです。
例えば、何かをしてもらったわけでもなく、褒めてもらったわけでもないのに、集団で「ありがとうございます」と言わされている場面に出会ったことがあります。
え、ここで「ありがとうございます」って言わせるの?
思わず口に出してしまい、訝ってしまいました。
何しろ不自然だったのです。それに、言わされることは、言葉を言う当人たちは何も考えず、ただその場面になったから、劇の台詞のように「ありがとうございます」といっているのと同じだと思いました。
さすがに、それには開いた口が塞がりませんでした。
もちろん、私はそれを指導していた人に、この「ありがとうございます」の意味や必要性、そして言わされている人たちが、自分で考えて言葉にしているのかを聞きました。
その答えが、「言わせることで憶えてもらう」だそうでした。
まるで小学校に入る前の幼い子が、社会でのルールを知るために教えているような答えに、これは違う!と思いました。
気持ちを伝える言葉って、思っている以上に重いものだと思うんです。
だからこそ、回数ではなく、何に対して「ありがとう」なのか、自分でよく考えた上で伝えていきたいです。
いつも私の稚拙なブログをお読みいただいている皆様、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。