何日かして、施設の先輩が現場に連れて行ってくれた。さすがに何をするわけでもなく、ただ出勤して勤務が終わるのを待っている私たちを見て同情されたのかわ分からないが、とにかく現場へと出かけることになったのは嬉しかった。
東海道貨物支線のうち、鶴見から別れて海岸沿いを走り桜木町までを結ぶ通称:高島線に新興駅という駅があった。旅客線でいえば新子安駅の近くで、ちょうど国道15号線と首都高速横羽線を挟んで海側の駅。新興駅なんていう名前、初めて聞く駅で、その昔は入江駅と呼ばれていたらしい。
その新興駅の構内側線の扱いで、三地区と呼ばれていたまさに工場地帯の真ん中へ行く線路があった。その終点は大黒ふ頭の付け根あたりで、真上を首都高速大黒線が走り、道路にはトラックがひっきりなしに走る様は、まさに子どもの頃に教わった京浜工業地帯そのものの景色だ。それに、大黒ふ頭といえば横浜ベイブリッジがあるので、高校時代によくドライブで来たところに貨物駅があるなんて知りもしなかったから驚かされたものだ。本当に、この頃は無知にもほどがあるほど何も知らなかったから、いま思い返せば恥ずかしいことだらけだった。
▲東海道貨物線(高島線)にあった新興駅。右側2本の線路が本線で、草に覆われた線路はかつての発着線だった。筆者が鉄道マンとしてこの駅で幾度か作業をした頃は、まだ車扱貨物列車の発着もあり、写真のように雑草で覆われることはなかった。左側に写る投光器用の鉄塔がかつて仕訳線があったことを示し、駐車場になっている部分が駅構内だった。(Wikipediaより引用)
その三地区へと繋がる側線のほぼ真ん中で車を降りると、先輩たちはスパイキーハンマーと呼ばれる大きなハンマーを下ろしてきた。ハンマーといってもふつうのハンマーとは違って、柄の先についているのは鶴橋をまっすぐに伸ばし、先端を尖らせないで直径5cmにも満たない太さにしたもの。それを持った施設の主任は、片足をレールを踏むようにして体を安定させ、ハンマーをひょいと軽く持ち上げると、やおら振り下ろしてレールを枕木に固定させている犬釘と呼ばれる釘を打った。
パキーン!
金属同士がぶつかり合う甲高い音が鳴った。ちなみに犬釘の頭は直径3cmくらい。どちらも大きくないので、そう簡単に打てるはずもないのだが、施設の主任はいともあっさりと細ハンマーで犬釘をうったのだ。
「おおー!」
その華麗なる熟練の技を見て、同期たちと思わず歓声を上げてしまった。
「ほら、お前たちもやってみな」
主任はまるでジュースか何かを渡すかのような気軽さで、その思いスパイキーハンマーを私たちに渡した。「いえ、まだそんなできません」ならまだしも、最近ちょっとでもできそうもないとすぐにいう台詞の「無理」なんてすぐに諦めたり逃げたりするが、この当時はそんなこと口が裂けても言えなかった。こうなると言われるがままにやるしかない。
ハンマーは軽く5kg以上はあったと思う。とにかく重かったが、それを振り上げるだけでも力がいるし、ましてそれを振り下ろして小さな犬釘に当てるなんて、ある意味とんでもない離れ業にしか思えなかったが、とにかく振り下ろした。
ドンッ!
ハンマーは釘に当たるどころか擦りもせず、思いっきり枕木を打ち当てていた。
そう簡単に当たるわけがないとは思ってはいたが、実際にやってみるとかなり難しい。何度かハンマーを振り上げては下ろしていると、5回に1回程度は犬釘に当たるが、後は枕木か下手をするとレールに当たってしまう。そんなわけで、気がついたら枕木はハンマーに叩かれてボロボロになりかかっていた。
「あーあ、枕木ボロボロにしちゃって」
主任はそういいながらも笑っていた。
「ダメだよー、そんな振り下ろしかたしてちゃ、腰を痛めるし釘には当たらないぞ」
今度は指導職の先輩が、これまた笑いながら「貸してみな」と言わんばかりにハンマーを取って、軽々とひょいと振り上げると大して力を入れることなく、まるでハンマーで宙に円弧を描くかのように振り下ろすと「バキンッ」とハンマーの先が犬釘に当たる音がした。
「いいか、ハンマーは力で下ろすんじゃないんだ。ハンマーの重さを使って下ろして犬釘に当てるんだ」
そういって、ハンマーをまた私に渡した。
今度は、指導職の先輩が教えてくれたように、力まずにハンマーを振り下ろしてみた。
最初の一、二回はやはり枕木に当たってしまったが、回数を重ねるごとに不思議なことにハンマーは犬釘に当たり始めていった。
そうなると、面白くなってきてしまい、私たちは代わる代わるにハンマーで犬釘を打っていった。初めはできないなんて思っていたけど、できるようになると嬉しくて仕方がなかった。できる喜びをたっぷりと味合わせてもっらというところだ。
いま考えてみれば、これが列車が頻繁に通過する本線だったらこんなのんびりとはやっていられなかっただろう。貨物駅の、それもほとんど入換がない新興駅の三地区側線だったから、先輩たちも私たちに「体験」させてくれたのだと思う。本当に感謝しかない。
ところで慣れない犬釘打ちをしたその夜、家に帰ると腕と脚が筋肉痛になってしまった。そりゃあそうだろう、普段から使わない筋肉が総動員したのだから、筋肉も悲鳴をあげたのだ。それにしても、線路を正常な状態に保つというのは、なんとも力のいる仕事であり、しかも人手を多く必要とするものだ。今時のJR職員で、このような仕事を日常的にすることはないだろうし、これができる人はいるのだろうか?最近の線路を見ていると、そんなことを考えてしまう。