旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

さらば「ムーンライトながら」 〜大垣夜行345Mの思い出〜【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 すでに多くの方がご存知のことですが、先週、JR東日本JR東海から衝撃的な発表がなされました。それは、東京と大垣間を結んでいた夜行快速列車「ムーンライトながら」を廃止にするというものでした。

 このニュースはまたたく間に書くニュースメディアなどにも取り上げられ、多くの人がその引退を惜しんでいます。

 廃止の理由については、「ムーンライトながら」で運用されていた185系が老朽化したことと、利用客の行動様式に大きな変化があり、今後は多くの利用が見込めないため、列車の使命が薄れてきたことが公式発表で述べられています。

 この「行動様式の変化」とは、安価で利便性の良い夜行高速バスへの利用者の移転と、航空機の低廉化による利用者の移転が考えられるでしょう。こうした利用者が他の交通機関へ乗り換えたことで、東海道本線を夜行で走る「ムーンライトながら」の利用率は、青春18きっぷが利用できる期間は別として、臨時列車として走らせても収益が見込めないと判断されたようです。

 車両が老朽化したのなら、新しい波動輸送用の車両を仕立てれば済むのではないか?という意見も聞こえてこなくもないでしょう。確かに国鉄時代はそれで解決できたかもしれません。しかし、民営化後、JR各社は自社の経営する路線とその地域の実態にあった車両をそれぞれで開発・製造しているため、これは容易なことではありません。しかも、「ムーンライトながら」はJR東日本JR東海に跨って運転される「越境列車」なので、新形式などを投入することは、乗り入れ先の乗務員に対してその車両の運転技術や取扱方法を訓練する必要があります。また、保安装置も基本仕様は同じでも、やはりそれぞれの実態に即した機能を追加しているので、乗り入れ車両にもそれに合った保安装置を追加しなければならないのです。

 もう少しわかりやすく言えば、JR東日本の車両はATS-SnとATS-Pを装備していれば済むのですが、これがJR東海区間に乗り入れるためにはATS-Ptなど、JR東海の仕様に合わせた保安装置を入れる必要があります。同じ区間を走破するJR貨物の機関車には、最初から運用される区間の保安装置に対応できる独自の装置を装備していて、ATS-SFとATS-PFを装備しています。これは、JR東日本だけではなく、JR東海JR西日本の線路上も走るため、貨物列車の独特なブレーキ特性に合わせながら、いずれの区間でも運転可能な保安装置が必要だったからです。

 また、夜行列車を運転することは、それに携わる多くの人でが必要です。今日では、様々なものが自動化・コンピュータ化されたことにより、必要最小限の人員で運行することができます。しかし、1本の列車でも深夜に駅を通過ないし停車するのであれば、それに対応する職員を確保しなければなりません。そうなると、深夜帯に勤務する職員を配置しなければならず、作業ダイヤもそれに合わせて組む必要があるのです。

 ちなみに、ダイヤは列車の運転にかかわる路線単位のものだけではなく、入換など作業がある駅には、駅だけのダイヤが作成されています。この駅のダイヤには、勤務する職員の担務指定ごとにもダイヤが組まれていて、作業などを執務を開始する時刻と終了する時刻、そして休憩や休息の時間までもが細かく書き込まれています。また、入換にも何番線にどの列車を何時何分に入れるとか、その入換は駅のどの担務を受けた職員が当たるのかとか、入換機関車の機関士は何時何分に機関車に乗って運転をするのかとかなどなど、事細かくダイヤが組まれているのです。

 ちなみに、筆者のように日勤勤務が主で、施設・電気のく所に勤務する職員にもダイヤが組まれていて、8時30分に執務を開始し、12時から12時45分までは休憩時間で、退勤は17時8分であるなど、駅と同じようにダイヤが組まれているのです。

 「ムーンライトながら」のような夜行列車が運転されるときには、深夜に最終列車が発車した後でも、「ムーンライトながら」が到着する時刻までは運転業務に携わる職員を配置する必要があります。そのための職員の作業ダイヤを組まなければならず、ダイヤそのものが複雑になってしまいます。職員を配置し、その時間帯に作業をすることは、コスト面でも不利に働いてしまうので、経営面からいえばこうした夜行列車の運転は避けたいのが本音だといえるでしょう。

 

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185系で運転されるムーンライトながら 出典:ウィキメディア・コモンズ ©Rsa, CC BY-SA 3.0

 

 また、最近になって特に言われているのが、夜間作業に携わる作業員の確保の問題もあります。鉄道施設の保守作業は、軽微なものや検査のようなものであれば日中に施工することも可能です。しかし、それが大規模になればなるほど、作業時間を多く確保する必要があるので、自ずと列車の運転がない夜間になってしまいます。こうした作業に携わる作業員の多くは、夕方に出勤して深夜に作業をこなし、早朝にそれを終えて朝に帰宅するという、昼夜逆転の生活を強いられることになります。しかしながら、現実としてはこうした勤務を若年層は忌避する傾向が強いため、平均年齢が高齢化していることを鑑みると、若い人材の確保も大きな課題になっています。さらに、短い作業時間で大きな保守作業を施工することは困難を伴い、全てが完璧にできて当たり前なのが、慌ただしく作業を進めることでどうしても人為的なミスを誘発しがちになってしまいます。

 こうした観点からも、夜行列車は可能な限り運転したくないという思惑は以前から合ったようですが、新型コロナウイルスの感染拡大とともに、テレワークの拡大など鉄道の利用者が減少していることも、「ムーンライトながら」の廃止という決断に対して、背中を押す格好になってしまったといえるでしょう。

 さて、深夜に安価に移動を可能にしてきた「ムーンライトながら」ですが、その前身は通称「大垣夜行」と呼ばれた普通列車でした。「ムーンライトながら」こそ、乗る機会はほとんどなかったのですが、「大垣夜行」は一度だけ乗ったことがありました。

 筆者が小学4年生の頃だったでしょうか、当時習っていた剣道の稽古から帰ってくると、遅い夕食を食べた後は風呂に入って寝るのが、その日に限って風呂にも入らず、有無も言わさぬ勢いで「出かける支度をしなさい」と言われたのでした。すでに22時を回っていたにもかかわらず、これからでかける?と、小学生だった筆者の頭は疑問だらけで、何がなんだかよくわからないまま、勢いに任せられて身支度をし、宿泊学習でしか使うことのない大きなリュックサックをもたせられて、いまは亡き祖父に連れられてバスで川崎駅へと向かいました。

 いったいどこへ、何しにいくんだろう?そんな事ばかり考えていると、いくつかの普通列車を見送った後、「次のに乗るぞ」と短く言われて待ち構えていたのが、「大垣夜行」だったのです。

 

《次回へつづく》

 

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