旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・猛威を振るう台風、その後に残ったものは【4】

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 台風というのはほんとうに容赦がない。

 またある別の日、横須賀線逗子駅から連絡があった。逗子駅といえば、三浦半島にある駅で、夏になれば海岸に遊びに行く人たちで賑わう駅だ。そんな駅に貨物列車?と思われる方も多いと思う。

 そりゃあそうだ。逗子駅で列車を待っていても、コンテナを満載した貨物列車など見るはずもない。しかし、逗子駅JR東日本の駅であると同時に、JR貨物の駅でもあった。

 ではいったいどんな貨物列車がやってくるのかというと、逗子駅の構内から伸びる貨物専用線は、なんと京浜急行逗子線神武寺駅へとつながっている。そして、この専用線金沢八景駅に隣接している東急車輌製造(現在は総合車両製作所)の工場へと伸びている。

 もうお分かりの方もおられるだろう。逗子駅東急車輌で造られた新しい車両を、貨物列車として送り出している駅だ。その逆に、改造などで鉄道会社から東急車輌へ送られてくる車両も、この逗子駅まで貨物列車としてやってくる。

 さて、逗子駅からの連絡は、前日に襲った台風で専用線の転轍機が水没してしまい、転換不能になってしまったということだった。前にもお話しした新鶴見機関区の時と同じだが、この時の転轍機はYS形と呼ばれる電気転轍機だった。

 YS形とは側線など誤進入しても他の線路に支障が及ばない場所に設置される簡易なもので、鎖錠装置がない電気転轍機だ。誤ってルートが開いていない方向へ進入して割り出しても、鎖錠がかかってないので転轍機を破損することはないものだ。

 電気転轍機が不転換の障害を起こしたとなれば、転轍機を交換しなければならない。
 主任からYS形の転轍機の在庫を聞かれたので、やはり即答で在庫がありすぐに使えると答えると、その日に予定されていた作業はキャンセルになり、逗子駅での障害対応による交換作業となった。
 ところが、この時は新鶴見のように、施設区の応援は望めなかった。
 施設区にも作業の計画があるから、毎回お世話になるなんてことはできないので、自力でなんとかしなければならなかった。

 自力でなんとかすると言えば簡単にも思われるが、これがとんでもなく力仕事だ。というのも、YS形転轍機はNS形転轍機に比べて小型・軽量とはいうものの、やはりケースと蓋は鋳物でできていて、中には電気モーターや制御用のリレーなどが詰まっている。その重量は150kgもある(これでもNS形の半分の重さ)から、人力でとはいうがこれがなかなか手強かった。
 詰所のある建物の傍には工具や資材を置く倉庫があった。電気転轍機の予備はこの倉庫の隣にある屋外資材置き場で保管していたので、公用車のライトバンを停めて4人で積み込んだ。こんな重量物を積んだものだから、ライトバンのお尻は思い切り沈んでしまった。

 150kgもの重量がある転轍機を持って逗子駅に着くと、すぐには下ろさないで現場を確かめることになった。信号を担当する指導職の先輩が転轍機の中を見ると、やはり水に浸かってしまってどうにもならないとのことだった。
 こうなると転轍機を交換することになる。
 問題はその転轍機が設置してある場所だった。
 転轍機は逗子駅久里浜方にある踏切から近いところだったが、この踏切は交通量が多く、交換用の転轍機を積んだ車を踏切に停めることができない。停めることができても転轍機がある場所とは反対側の線路沿いで、しかもこの踏切は上下の本線だけではなく中線と貨物側線の合計4本の線路が交差しているから、一般的な踏切に比べて横断する長さが長いのだ。
 この4本の線路を渡って行くので、運ぶ距離も自ずと長くなる。

 文字通り力仕事だ。

 持ってきた転轍機にロープを架け、そのロープに太い垂木を通して担ぎやすくすると、車に載せたときと同じように男4人が垂木を肩に乗せ、まるで思い神輿を担ぐかのようにして150kgもある転轍機を運び出した。
 この時、肩に掛かる重さは単純計算でも1人75kg。ただでさえ重くて悲鳴をあげたくなるくらい肩に垂木が食い込んで痛いのが、踏切という場所なだけに途中で下ろして休憩なんてことは不可能だった。こうなったら、痛みに耐えながら一気に運んでいくしかない。
 そうはいっても、ふだんからレールや枕木のような重量物を扱う機会が多い施設区と違って、電気区は細かい作業や高所へ昇る作業が多いので、いくら線路際にでて作業をする鉄道マンといっても、施設区と比べると腕力があるとはいえない。
 それでも、このとんでもない重量物を運んでいかなければならない。大人の男4人が苦悶に満ちた顔をしながら、黒い物体を運んで踏切を渡る姿は、通行する人たちにはどう映っただろうか。
 ちょっとでも「格好良く」見えれば嬉しいが、まあ、気合いを入れたり痛みに耐えたりするためにわけの分からない言葉を発して、えっちらおっちらと行くのだから、どう考えても「格好良く」はなかっただろう。

 なんとか無事に転轍機を現場に運ぶと、そこからは早かった。

 YS形の転轍機は鎖錠機能がない分、取付と取り外しもまた簡単だった。
 信号の制御装置などにつながっているケーブルを端子から外し、分岐器につながっている腕のボルトを外せば、すぐに壊れた転轍機を撤去できる。新しい物に替えた後は、その逆の手順で作業をすればよく、NS形のように細かい調整などは必要なかった。
 こうして、新しい電気転轍機に交換を終えると、今度は取り外した電気転轍機を車に載せなければならなかった。そう、150kgの重い転轍機を、またまた担いで踏切を渡っていかなければならないのだ。

 そのことに気付いたときは、「え、ほんとうに!?」などと声には出さないまでも、心の中で叫んでしまった。
 そして、元来た道を同じように電気転轍機にロープをかけ、そのロープに垂木を通して神輿か駕籠屋のように男4人が肩に担いで運んでいった。ちょうどその時間は高校か中学校の下校時刻にぶつかったのか、すれ違う制服姿の女の子たちは、転轍機を担いで行く私たちを見て「ナニこれ?」と珍しい物でも見つけたかのようにして見て、それから中には爆笑する集団もあった。

 いや、ホント、人目に触れるならもっと格好いいところを見てほしいなんて思うのは、私もまだまだ若い証拠だった。今となっては、見た目はどんなに変でも、大事なものを支える仕事に格好いいも悪いもないなんていえるんだけどね。