旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

走り抜ける「昭和の鉄道」 緑一色、田園都市に吊り掛け音を響かせて

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今回はかなり古い写真をご紹介しましょう。

1987年の蒲田駅東急池上線目蒲線ホームです。このホーム自体は、今日もあまり大きく変わっていません。私鉄のターミナル駅によく見られる、頭端式のホームです。

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東急電鉄といえば、オールステンレス車のパイオニアでもある7000系電車をはじめ、新機軸を積極的に取り入れる鉄道会社です。

一方、その経営スタイルは自社の鉄道沿線を開発し、不動産として販売し、そこに住んだ人々を鉄道の顧客とするもの。私鉄としてはもっとも優れた経営手法ともいえます。

そんな東急電鉄も「支線級」となっていた、目蒲線や池上線には1990年代に入っても戦前につくられた吊り掛け駆動の電車が走り続けていました。

もともと東急電鉄のルーツは目蒲線や池上線でした。

それが、どういうわけか東横線田園都市線の方が幹線級の扱いで、「目蒲三線」などと称されたこれらの路線は、冷房もない、音はうるさく振動も激しい、けして乗り心地もよくない車両たちの天下でした。

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そんな古参兵である3000系電車たちも、時とともにできるだけ装いも時代に合わせようとしていたようです。

その昔は濃い緑色、次に紺色と黄色のツートンカラー、そして晩年は明るめのグリーン。

とはいえ、銀色に輝くステンレス車が颯爽と走るのを横目に、グリーンの古い電車は猛烈な音を轟かせながらノンビリと走っていました。特徴的な楕円形の社紋が貼られていなければ、およそ同じ会社の電車なんて気付かないほど、極端な光景でした。

溶接があたりまえの車体も、こうして撃たれたリベットもいまでは見ることはできません。それどころか、こんな綺麗に等間隔で、しかもズレがないように打っている様は、まさしく職人の為せる技です。

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外装もできるだけ明るく、そして内装もできるだけ時代に合わせても、そこは戦前生まれの電車。

運転台の機器類は古いもの。ブレーキの配管も運転台に入り込み、メーターも圧力計がメインというのは、いまでは考えられないものです。

いまではブレーキも電気信号によるコントロールで、多くが自動化されています。

しかし、この電車のハンドルを握った運転士は、ブレーキハンドルで直接、ブレーキ管の空気圧を調整してブレーキをコントロールしていました。まさに「職人技」といってもよく、今日の運転士にはできない芸当だといえるでしょう。

そんな何とも懐かしい、どっぷり昭和の電車。

幼き頃に乗った思い出がちょっとだけ、脳裏に蘇ってきます。