つい先日、外出をする機会があり、昼食をマクドナルドで食べていました。
そのマクドナルドは、私の実家にほど近いところにあるお店です。これまでも何度も行ったことがある馴染みのお店で、店員さんの中には私が11年ほど前に教えた子も勤めています。
その日は平日だったので、さすがに教え子がシフトに入っていることはないだろうと、次の出先へ行くまで少し時間も空いたので、コーヒーを飲みながらパソコンに向かっていました。
コーヒーを紙コップの半分を少し飲んだところで、ほぼ30分が経っていました。
私は時計を見てまだ時間があると思い、パソコンで原稿を入力しているのに集中していると・・・
「先生、こんにちは」
聞き覚えのある声が、私にあいさつをしてくれました。
ちょっと驚きましたが、私はゆっくりと顔を上げて、あいさつをしてくれた人を見ました。やはり、ここに勤めている教え子でした。
この時の彼女は、制服の上に私服のコートを羽織っていました。きっと自宅から出勤してきて、シフトに入る前の時間だったのでしょう。
「こんにちは、元気そうだね」
それまでの何度かこのお店で顔を合わせたことがありましたが、それは彼女が仕事中でのこと。ですから、仕事の邪魔にならないように、私からは挨拶程度しか声をかけていませんでした。
だから、21歳になった教え子とまともな会話を交わしたのは初めてです。
「先生、今日は・・・?」
平日の午後、ノンビリとコーヒーを飲みながらパソコンに向かうかつての担任の姿に、教え子の頭の上にはたくさんの?が浮かんでいました。そりゃぁそうでしょう。
こうしていること自体が不自然な仕事です。午後の時間とはいえ、授業をやっているのが当たり前ですから。
ですから、私は私用で休んだことと、午後からは出先へ向かうため時間調整をしながら昼食を取っていたと話すと、教え子はホッとした表情になりました。どうやら、私が仕事を辞めてしまったと思っていたようでした。さすがにイヤなことは数え切れないほどありますが、そう易々と辞めるわけもいきません。
ですから、教え子には「安心して、そう簡単に辞めないから」とだけ話しました。
さて、色々とお話ししたいのは山々でしたが、あまり時間をとってはいけません。教え子はこれからシフトに入るのですから、仕事の邪魔になってはマズいです。
短い会話の中で、彼女はいま心理学を学んでいること、大学院に進学して心理士の資格を取ろうとしていることを教えてくれました。
もちろん、資格を取ることは生きていく上でとても重要なことでしょう。
資格があることで就くことができる仕事もありますし、就きたい仕事が資格をもっていることが必須という条件であることもあります。
私は教え子たちに、折に触れて資格を持っていることで、食べていくのに困らないこともあるということを話してきました。
ですから、そのことを覚えていたかは別ですが、この教え子がそれを実践しようとしているのが嬉しかったです。
ところで、なぜ心理系の道へ進んだのか?ということですが、これもまた教え子が真剣に考えた理由がありました。
それは、人間の心理には、コンピュータなどの機械が入り込む余地がない、言い換えれば人間にしかできない仕事だ、ということでした。
確かにその通りです。
人間の心を、機械が読めるわけがありません。
いくらICT技術が発達し、AIがめざましい進化を遂げて私たち人間の生活の中に入り込んできても、高度なICTでもAIでも人間の心の中のことまではケアをすることはできないというのです。
この教え子の言葉に、私は目を丸くし、そして誇らしくも思いました。
若い人でも、しっかり考えているんだなと。
この混沌とした世の中で、若い人なりに現実と向き合い、そして考えてきたかが分かります。そして、私たちのような年長者が、若い人たちにどれだけ向き合いながら仕事などに臨んできたかが問われるといえるでしょう。
言い換えれば、しっかりと先を見通し、真剣に仕事に向き合う年長者と一緒に仕事をした若い人は、そうでない年長者と一緒に仕事をした若い人と比べて、著しく成長するでしょう。
この教え子は、きっと周りにいた年長者に恵まれたのだと思います。
もちろん、まだ社会には出ていないので仕事はしてもアルバイトですが、それは親御さんであったり、学校で指導にあたった教員であったり、あるいは地域の方であったりと、成長の過程で先を見通し将来を考える力をはぐくんだのだと思います。
そして、この教え子。なんとこの時はマネージャーとしての教育を受けている最中とのことでした。たかがアルバイト、されどアルバイト。組織の中で人を動かす立場となるマネージャーには、なりたいと思っていてもなかなかなれるものではありません。
そこには、仕事に対してどれだけ真剣に向き合い、経験を積み重ねてきたかが窺われます。そうした中にも、やはり「先を見通す」という力は必要不可欠であったであろうし、それを仕事の中で培ってきたのではないでしょうか。
「いまの若い人は・・・」
かつて若い頃、年長者にこの言葉を言われるのがイヤでたまりませんでした。
気がついたら同じセリフを言うようになり、否応なしに歳を重ねてきてしまった自分がいました。でも、若い人を育てて次の世代に引き継いでいくのも、私のように歳を重ねてきた人間の役割、いえ、責務だと思う今日この頃です。
この教え子から、今の自分に何が欠けていて、何が必要なのかを教わりました。
歳を重ね、経験を重ねても、まだまだ学ばなければなりません。学びに終わりはないのですね。