《前回のつづきから》
■最後のキハ58系 房総へ渡ったキハ28 2634(つづき)
キハ28 2346は、1964年に帝国車両でキハ28 346として落成、4月15日付で米子機関区に新製配置されたものの、5月24日付で新潟機関区へ配転になり、さらに7月14日付で千葉気動車区へ再度配転になり夏季の海水浴客輸送に活躍するものの、夏季の繁忙期輸送が一段落した9月17日付で再び米子機関区へ配転されました。このようなめまぐるしい配転は、本来であれば米子機関区を拠点に山陰本線などで活躍する計画だったのが、当時はまだ蒸機牽引の客車列車も多数運転されていて、気動車は引く手あまたの存在だったのです。そのため、多客時輸送に気動車を使いたい希望が多くあったため、1ヶ月から2ヶ月の間隔で配置転換を繰り返すことになりましたが、実質的には米子機関区から新潟や千葉への配転を伴う貸し出しだったといえるでしょう。
1972年になるとキハ28 346は冷房化工事を施され、屋根上にはAU13分散式冷房装置を7基、その電源として床下には4VK発電装置を搭載しました。この工事により、車番は+2000が加えられて2000番代になり、キハ28 2346となって米子区配置のまま、山陰本線を中心に活躍しました。
初夏のいすみ鉄道線上総中野駅で折り返しのひとときを過ごすキハ28 2346。JR西日本から譲渡されて2年しか経っていなかったため、車体は比較的きれいな状態を保っていた。国鉄気動車急行色という塗装も懐かしく、注目される存在になったものの、車体外板をよくよく観察すると、長年使われ続けてきたこともあって歪みが目立ち始めていた。特に客室窓下には窓枠から延長したような歪みがあり、目に見える形で老朽化が進行していたことが分かる。引退を知らせるニュース映像では、塗装も剥げてしまい車体の腐食も進んでいたのが見て取れた。このような古い車両を維持するためには、相当なコストと労力が必要になる。(キハ28 2346【金トヤ】→いすみ鉄道 上総中野駅 2013年6月30日 筆者撮影)
国鉄の再建議論が熱を帯びていた1985年に、長らく住処としていた米子区から、北陸の七尾機関区へ配転となります。そして、七尾区配置のまま1987年の分割民営化を迎え、キハ28 2346はJR西日本が継承して七尾線や北陸本線を走りました。
1991年に富山運転所、1996年に高岡鉄道部へと配置転換しますが、2000年に小浜鉄道部へ転出して小浜線で運用されます。そして、小浜線が電化されると再び高岡鉄道部へ戻されますが、今度は組織の見直しにより高岡鉄道部は廃止され、富山地域鉄道部の配置車となり高山本線で運用され、以後2011年3月まで走り続けたのでした。
ところで、キハ28 2346の相方はキハ58 1114でした。この編成は2004年に越前大野鉄道部に貸し出されて越美北線で運用されたときに繋がれた車両で、以後富山へ移ってもこの相方と離れることなく運用され続けたのです。
2011年3月に引退の日を迎え、相方のキハ58 1114は運用離脱後にそのまま廃車とされ、解体される運命をたどっていきます。2004年以来、7年間も同じ車両と連結して走り続けるというのは気動車としては特急形を除いて非常珍しいといえるでしょう。言い換えれば、キハ28 2346の相方を務めることができる車両が限られていたためともいえますが、運用する側にとって国鉄時代のようにいちいち切り離して1両単位で管理するよりは、半ば固定編成のように編成単位で管理する方が、検査などの周期を把握しやすいなどのメリットがあったのでしょう。
国鉄形車両といえば、やはりこの無骨で実用本位の「ボックスシート」であろう。座席のモケットも、普通車は青色と定められていて、特急形から通勤形に至るまで、普通車はこの色のモケットが使われていた。接客サービスの向上と、明るい車内をつくるために色とりどりのモケットが座席に使われている今日にあって、この色は懐かしさと哀愁を感じるにはうってつけだった。そして、リクライニングもしないほぼ直角の背もたれもまた、若い頃に旅した記憶を呼び起こすには十分だった。(キハ28 2346【金トヤ】 2013年6月30日 筆者撮影)
その相方で7年間「連れ添った」キハ58 1114と別れ、キハ28 2346は1964年以来、実に48年ぶりに房総の地にやってきました。そして、同じJR西日本から譲渡されたキハ52 125を新しい相方にして、今度は房総半島の中央部を走るいすみ鉄道いすみ線で、訪れる多くの観光客とファンを乗せ、わずか26.8kmの短い路線ですがノスタルジックな雰囲気と、DMH17系エンジン独特のエンジン音を響かせながら走り続けました。
JR西日本から譲渡され、いすみ鉄道の「目玉」として注目される存在として動態保存されることになったキハ28 2346ですが、それとて永続的に保存され続けるかといえば、現実はそう甘くはありません。2014年には車齢が50年、すなわち半世紀にもなり工業製品として鉄道車両をみれば、耐久寿命を大きく超えているのは明らかでした。
加えて、この稿で何度もお話ししてきたように、搭載するDMH17系エンジンは基本設計が戦前の古いもので、それも製造されてから車齢と同じ半世紀以上が経ち、同じ型式のエンジンを使う車両はキハ28 2346を入れても20両に満たず、交換用部品の入手も容易ではなくなり、同時に国鉄時代には長距離高速走行をしていたこともあって、老朽化が激しくなっているのは想像に難くないものでした。
《次回へつづく》
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