《前回からのつづき》
■国鉄分割民営化による鉄道用ディーゼルエンジンの転機
1987年の国鉄分割民営化は、国鉄が脈々と受け継いできたあらゆることに大きな転機をもたらしました。列車の運行形態やサービス面で、利用者の目にわかる形で現れました。また、経営方針もこれを境に各社の経営環境に合わせたものになるとともに、『必要だから作る』という国鉄時代のように、鉄道債券を発行し借金をつくってでも新型車両を製造することはできなくなりました。民間企業となったことで、安易に負債を増やすことは禁忌であり、経営問題にもなりかねません。
気動車の動力源であるディーゼルエンジンも、民間企業になったことによって、より経済性に優れ、そして強力なものを求めるようになりました。
JR東日本は1988年に、国鉄から継承した気動車に搭載されているDMH17系エンジンの換装を目的に、民生品であるディーゼルエンジンのコンペを実施しました。国内メーカーであるコマツと新潟原動機、そしてアメリカのカミンズのエンジンをキハ58にそれぞれ搭載し、1年間に渡って試用したのです。
いずれのエンジンも、国鉄が開発したエンジンとは比べ物にならない高性能なもので、小型で軽量、そして機関出力は高く低燃費であるという特徴を備えていました。また、これらのエンジンは大型自動車や建設用機械はもちろんのこと、内燃発電機や船舶にも使われているなど、実績も豊富なエンジンでした。
JR東日本が試用したのは、コマツ製のSA6D125H(水平シリンダー式直列6気筒、排気量11リットル、直噴式。DMF11H系)と新潟原動機製のDMF13H系(水平シリンダー式直列6気筒、排気量13リットル)、そしてカミンズ製のNT-855系(水平シリンダー式直列6気筒、排気量14リットル、直噴式。DMF14H系)の3つで、そのいずれも高性能ぶりを発揮する結果を出しました。
この結果を受けて、JR東日本は民営化後初めて新製したキハ110系気動車や、国鉄から継承した気動車に搭載されているDMH17系など国鉄制式エンジンの換装用として、カミンズ社製のNT-855系をDMF14HZ系として採用し、日本の気動車に海外製のエンジンが搭載されるようになったのです。
このことは、JR東海が開発を進めていた新型特急用気動車のエンジン選定にも影響を与えたと考えられます。新型気動車は、最高運転速度を120km/hに設定することを目標としていたことから、強力な出力をもつエンジンが欠かせません。しかし、国鉄が開発した大出力エンジンであるDML30系は、最高出力500PSを出すことができますが、エンジン自体の重量が重く、排気量も30リットルであることから燃費が悪いなど効率の悪いものでした。
キハ82系は国鉄初の特急用気動車として製作され、北は北海道から南は九州まで、全国各地の非電化路線の特急列車に投入された。しかし、非力なDMH17系エンジン一択という時代に製作されたため、長距離かつ高速運転を強いる特急列車での運用には苦労がつきまとったという。写真のキハ82は北海道に配置されて、道内の各都市や本州からの連絡輸送に、過酷な気象条件の中でも走り続けた。(キハ82 100 三笠鉄道記念館 2016年7月24日 筆者撮影)
民間企業になった以上、経営的な観点から効率性を求めるのは当然のことでした。できるだけコストを抑えながら、収益を得るのは企業経営の基本です。国鉄時代のように、資金を湯水の如く使うことはできないので、新型気動車にはあらゆる面でのコスト軽減が大きな課題でした。
こうした課題の解決は、新型車両の設計にも現れ始めます。国鉄時代に設計製造した車両は、全国どこでも運用できることを前提としていました。例えば近郊型電車は運用する地域により多少の差はありましたが、主電動機や車内の座席など共通する部品を多用し、同時に検修の手順なども共通化するなど基本設計は同一にしていました。
こうした中で、JR東海が運行する気動車特急も車両更新の対象になっていました。名古屋と富山を高山本線経由で結んでいた特急「ひだ」や、紀伊勝浦との間を結んでいた特急「南紀」は、JR東海が列車の運行を継承し、同じく国鉄から引き継いだキハ80系で運行していました。
キハ80系はすでに述べたように国鉄が設計したDMH17を2基搭載した、国鉄初の特急形気動車でした。しかし、そのエンジン性能はお世辞にもよいとは言えず、また、1960年代に製造されたために車齢も高く、老朽化・陳腐化が目立っていました。効率の悪い老朽車をいつまで使い続けることは、経営的にも好ましいものではありません。
そこで、JR東海は新しい特急形気動車を開発し、これを「ひだ」に投入することにしたのでした。
《次回へつづく》
あわせてお読みいただきたい