旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 気動車というと、鈍重で加速力に乏しく、最高運転速度も電車より低いものだという印象をもっているのは、おそらく国鉄時代に造られた車両を知る筆者と同じ年代の方や、諸先輩方ではないでしょうか。

 確かに、かつての気動車はその印象を強く抱くほど、性能は芳しいものではありませんでした。加速をするときにはけたたましいほどのエンジン音を駅の構内に轟かせ、屋根に設けられた排気筒からは独特の匂いがする薄黒い煙を吐き出して、それとは反比例するかのようにゆっくりと加速していたものです。

 これは、国鉄時代に製造された気動車のエンジンに起因するものでした。

 国鉄形の気動車は、例外なく国産エンジンを搭載していました。国鉄の分割民営化語を見据えて新会社の負担を極力減らすべき「置き土産」的に製造されたキハ37以降の車両を除いて、すべて国鉄が開発したものでしたが、その由来は戦前に設計されたエンジンを基にしていました。

 

国鉄が開発した初の実用エンジンDMH17

 例えば最初に実用化されたDMH17系エンジンは、直列8気筒で排気量は17リットルでしたが、その出力はどんなに頑張っても300PS、平均しても200PSが限界でした。そして、この最高出力を出す時のエンジン回転数は1500rpmと低く、しかもエンジン自体の重量も出力の割には重いもので、お世辞にも高性能なエンジンとはいえませんでした。また、基本設計が戦前のエンジンを踏襲していたため、燃料噴射も予燃焼室式と古い技術のままでした。

 他方、同世代に製造されていた自動車用ディーゼルエンジンは、国鉄のDMH17系よりもすぐれたものがありました。例えば日野自動車が開発製造していたDSエンジンは、1960年代には水平対向12気筒、排気量16リットルで、最高出力320PS /2400prmという高性能エンジンがすでに存在していました。このエンジンは過給器を使わない自然吸気式で、当時としても群を抜く性能を誇ったエンジンでした。

 このように、カタログスペックだけを見ても、国鉄が開発した気動車用のエンジンは、自動車用のものと比べてあまり良い性能とは言えなかったことがおわかりいただけるでしょう。

 しかし、国鉄もそのことは承知していたものの、エンジンの標準化を優先させ、同時に性能は芳しいものでなくても、自らが開発したエンジンを搭載するという技術陣の「意地」もあって、数多くの車両に搭載されることとなったのです。

 そのため、DMH17系エンジンは、ローカル線用のキハ10系やキハ20系だけでなく、特急形のキハ81・82系にも搭載されたため、非電化区間における列車のスピードアップが捗らないばかりか、その構造に起因する排気系統の異常過熱に悩まされた結果、最高出力での運転は5分に制限されるなど、扱いの難しいエンジンでした。

 

 

 特に長距離運転が常になるキハ80系では、DMH17系エンジンの性能の悪さにトラブルを続発させました。前述の通り、DMH17系エンジンは排気管を過熱させやすい悪癖があったため、特急列車のように常に高速運転をするには不向きだったといえます。また、キハ80系に搭載されたDMH17Hは水平シリンダーだったため、潤滑がうまく行きわたらないことをはじめとした欠点を多く抱えていたこともあって、長距離高速運転を強いられる運用で次々とエンジン故障を起こし、その結果、編成中の何両かはエンジンカットをせざるを得なくなり、その分をほかのエンジンが肩代わりした結果、さらにエンジンカットをする車両が増えていくという悪循環に陥ることもしばしばあったほどです。

 しかし、国鉄にとってキハ80系を製造していた時期は、それがどんなに欠陥を含んでいたとしても、DMH17系エンジン以外に使えるものはなく、非電化幹線の優等列車気動車化を進めるために、キハ80系を量産させるしかなかったといえます。

 国鉄技術陣も、そのことは把握していたため、ただ為す術もなく見ているだけではありませんでした。その後、国鉄は高出力エンジンの開発に挑みます。

 

《次回へつづく》