《前回からのつづき》
■高出力エンジン開発への挑戦と失敗
国鉄は1960年にキハ60系と呼ばれる準急用気動車を試作しました。
このキハ60系は、国鉄が悲願としていた大出力エンジンの試作車で、車体外観は既に量産されていたキハ55系とほぼ同じでしたが、搭載したエンジンはそれとは全く異なるものでした。
DMF31HSAと呼ばれるこのエンジンは、400PS/1500rpmを出すことができる高出力エンジンでした。
DMF31系エンジンは、もともとはディーゼル機関車用として開発されたもので、主にDD13などに搭載された垂直シリンダーの直列6気筒エンジンでした。DD13の初期形に搭載されたDMF31Sは出力370PSでしたが、後に改良されたDMF31SBでは500PSにまで強化されました。
このDMF31系エンジンの成功をみて、国鉄はこのエンジンを気動車にも搭載しようと考えたのです。しかし、そもそもが垂直シリンダーのエンジンを、そのまま気動車に搭載することは物理的に不可能です。そんなことをすれば、エンジンは床を突き抜け客室に顔を出してしまいます。
そこで、この垂直シリンダーのエンジンを気動車の床下に収まるように、水平シリンダーへ設計を変えたのがDMF31HSAでした。
DMF31HSAはDMH17系とは比べ物にならない高出力を出すことができました。このエンジンであれば、DMH17系を2基搭載する必要があった高出力車も、1基だけで済むことが想定されました。
この新しい高出力エンジンであるDMF31HSAを搭載したキハ60は、国鉄の期待を背負って試験走行を始めましたが、その期待とは裏腹にトラブルを頻発させてしまいました。
その主な原因は、水平シリンダーにしたことによる潤滑不良でした。エンジンを回転させるために、シリンダーの中ではピストンが往復運動をしますが、金属同士が高速で擦れ合うと摩擦が生じます。この摩擦を減らすためにエンジンオイルで滑りやすくしますが、潤滑が行き渡らないと摩擦によって熱を帯びたシリンダーとピストンが焼け付き、最悪の場合は固着するなどの故障を起こしてしまうのです。
国鉄の非電化路線で急行列車などで活躍し、大量に製作されたキハ58系など急行形気動車は、高速での運用や場合によっては山間部など勾配区間でも運用することから、高出力であることが求められた。しかし、当時は気動車用ディーゼルエンジンとして使えるのはDMH17系だけであり、その出力も180PSが精一杯だった。そのため、高出力を得るための苦肉の策として、1両にエンジンを2基搭載する「2エンジン車」を設定したが、排気量の割に低出力でしかも燃費もよくなかったため、経済性に劣ることに甘んじなければならなかった。(キハ56 16 三笠鉄道記念館 2016年7月24日 筆者撮影)
DMF31系エンジンは、そもそもが垂直シリンダーとして設計されたものです。搭載場所に余裕のあるディーゼル機関車では、その大きさはあまり問題にはなりませんでしたが、気動車は床下の限られたスペースに搭載しなければならないため、これを水平シリンダーにしました。また、DMH17系では直列8気筒で17リットルであったため、シリンダーの容積は小さかったのに対し、DMF31系は直列6気筒で31リットルの排気量を確保するため、シリンダーもの容積も大きなものでした。もともと、水平シリンダーエンジンは、垂直シリンダーエンジンに比べて潤滑が難しいところに加えて、シリンダーそのものが大きかったことが潤滑不良を招く要因の一つとなったことといえるでしょう。
こうしたエンジン自体の欠陥や、国鉄技術陣の見積もりの甘さから、DMF31HSAを搭載したキハ60系は失敗作となり、強力なエンジンを1基だけ搭載した強力車の実現は叶いませんでした。
《次回へつづく》
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