旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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いすみ学園に保存の東急デハ3455 クラファンで修復を目指す【前編】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 この間の日曜日に何気なく目を通していたネットニュースで、次のような話題が報じられていました。

www.chibanippo.co.jp

www.jiji.com

railf.jp

 

 今回は、かつて東急線を疾駆した戦前製吊り掛け駆動車である、東急3000系(初代)のうち、名車ともいわれるデハ3450形のうちの一両、千葉県いすみ市に保存されているデハ3455の話題を取り上げたいと思います。

 

 東急電鉄の車両といえば、早い時期からステンレス鋼を採用し、量産者としては世界で初めて界磁チョッパ制御とワンハンドルマスコンを装備するなど、傘下の車両メーカーであった東急車輛と共同で、先進的な新機軸を数々と世に送りだしていた事で知るところです。

 その東急電鉄も、ステンレス車を登場させる前は普通鋼製の車両が数多く運用されていましたが、5000系(初代)を除いて吊り掛け駆動方式のいわゆる旧型電車だったことは、他の大手私鉄と大きく異なるところでした。

 1954年に東急初のカルダン駆動を採用した5000系(初代)が普通鋼製の車体であったのに対し、その増備車となる5200系は構体は普通鋼のままで、外板をステンレス鋼にしたセミステンレス車となり、さらに続く6000系(初代)は直角カルダン駆動、1台車1モーターの2軸駆動を採用した試作的要素が強く、最終的に米国バッド社と技術提携することで実現した日本初のオールステンレス車となる7000系(初代)の開発と量産と、この時期は目まぐるしく次々に新型車両を登場させていました。

 

東急初のカルダン駆動車である5000系は、モノコック構造で車体を軽量化し、さらに直角カルダン駆動を日本で初めて本格的に採用するなど、新機軸をふんだんに取り入れた前衛的な電車だった。丸みを帯びた側面と、それ以上にカーブの多い下膨れな前面、そしてその塗装から「青ガエル」として親しまれ、近年まで渋谷駅前に展示されていたので知る人も多いだろう。登場時は東横線で急行運用までこなしたが、20m級大型車の8000系に追われ、大井町線では5両編成を、さらに目蒲・池上線では3両編成を組んで沿線の人々を運び続けた。(©Hahifuheho, CC0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 もっとも、5000系(初代)が登場するよりも前は、他社と同様に普通鋼製で吊り掛け駆動の車両を増備していましたが、それらは本格的な量産には至ることはありませんでした。まとまった数で導入されたのは戦後直後に運輸省から割り当てられた規格型車両である3700系が唯一で、数も20両にとどまるといった今日では考えられないほど少ないものでした。また、1953年に登場したデハ3800形は、東急電鉄が傘下の車両製造メーカーとして横浜市金沢区の旧海軍工廠跡地に開設した東急横浜製作所で2両だけが製造されました。当時としては珍しいウィンドウシル・ヘッダーのない平滑な車体と、流行だった上段窓をHゴムで固定したいわゆる「バス窓」を採用し、さらに張り上げ屋根とするなど近代的なスタイルでした。もっとも、吊り掛け駆動であることには変わらず、1953年に5000系の開発に目処がつくと、新製車はこれに移行することになったためわずか2両の製造で終了してしまいます。

 同じ時期には制御車であるクハ3850形も製造されますが、こちらは3700系を基本とした車体設計となったため、ウィンドウシル・ヘッダーがあり雨樋のある普通屋根となるなど、旧来からあまり変わらないスタイルでした。クハ3850形は制御車のみが製造された形式でしたが、これは、当時東急電鉄保有する車両は電動車が多く占めていたことに由来します。当時、電動車147両に対して制御車・付随車は42両しかない特異なもので、旅客輸送の需要が増大する中で長編成化する際に、電動車比率が多いと電力使用量が多くなり経済性に難が出てくるため、制御車のみの増備となったのでした。

 このように、戦後に東急電鉄保有した旧型電車のほとんどは、戦前に製作されたものが大多数を占め、国鉄から戦災車両の払い下げを受けてこれを復旧させて運用した3600系や、運輸省規格形の3700系、そしてデハ3800形とクハ3850形を除けば、戦前・戦時中の誕生した車両たちが活躍していたのでした。

 その中で、戦前製のデハ3450形やデハ3500形、戦時中に増備されたデハ3650形は、1980年代終わり頃まで運用されるなど、長期に渡って活躍した車両でした。そして、東横線田園都市線といった東急の本線級の路線では、界磁チョッパ制御どころかVVVFインバータ制御までもが投入されるのを横目に、支線級ともいえる目蒲・池上線で3両編成を組み、東京都区内を吊り掛け駆動独特の音をバラ撒きながら、老骨にムチを打って走り続けたいわば、下町の人々にとって貴重な足として欠かすことのできない存在でした。

 中でもデハ3450形は「名車」として語られ続けています。

 

池上線の運用に就いていたデハ3450形・3452号。50両製造されたデハ3450形の中で、数少ない日本車輌製の1両で、前面は折妻構造が特徴だった。撮影した1987年の時点で、既に多くの旧型車である3000系が運用を退いていた時期で、この2年後にすべて廃車になっていった。(デハ3452 蒲田駅 1997年 筆者撮影)

 

 1931年から東急の前身である目黒蒲田電鉄東京横浜電鉄が制作した両運転台付の制御電動車で、登場時は510形という形式名でした。川崎車輌日本車輌で製造された510形は、全部で50両という戦前製の私鉄高速鉄道用電車としては最多の数が量産されました。

 510形の主電動機は日立製HS267系は、定格出力94kWとけして高い出力を出すものではありませんでしたが、1,000prmという高回転が可能なことと、小型であったことなどから後に標準品として数多く使われ、さらに当時としては優秀な電装品の一つであったことなどから、後々長期に渡る運用を可能にしたといえます。

 戦火をくぐり抜けてきた510形は、戦時中の大東急への合併のときにデハ3450形と形式を改めますが、製造時は片隅式運転台で前面窓には庇が取り付けてあったのを、戦時中に庇を撤去、さらに1950年代に入ると片隅式から全室式の運転台に改造されました。さらに前面の貫通化改造、室内壁面のアルミデコラ張りと床のリノリウム化、客室窓面積の拡大とアルミサッシ化といった更新工事が施されていきます。もっとも、この更新工事では屋根の垂木や床板は木製のままとなったため、完全な鋼製車になることはなく、半鋼製車のままでした。また、多くは両運転台から片運転台に改造を受け、3450号と3498号、3499号の3両のみが両運転台のまま残されました。

 1980年代に入るとさすがに木製部分の老朽化が見逃せないレベルになったためか、床面の鋼板化、屋根部の鋼板張替えなどといった更新工事を受けましたが、デハ3500型やデハ3650形のような張り上げ屋根化、前部標識灯のシールドビーム化とライトケースの移設といった大規模な工事を受けることなく、比較的原型を保った常態で最後の活躍を続けました。

 筆者がデハ3450形をはじめとした3000系電車に出会った頃は、既にライトグリーン一色に塗られた時代でしたが、それ以前は紺色と窓部を黄色に塗ったツートンカラーで、それよりも前は濃緑色一色に塗られるなど、時代とともにその装いも変えていました。もっとも、ライトグリーン時代も、特に東横線と並走する田園調布駅多摩川園駅間で、最新鋭のオールステンレス車と並走する後継は、なんとも古めかしさを感じざるを得ませんでしたが、長きに渡って走り続けているという貫禄もありました。

 

3000系の引退を目前にした頃、 ライトグリーン一色に塗られるより前、紺色と黄色の2色塗りだった頃を再現した車両が走り抜けた。先頭のクハ3850形は登場時こそ他の車両と変わらない形態だったが、後に更新工事を受けた際にデハ3500形と同じ、張り上げ屋根、シールドビーム2灯化などの改造を受けた。しかし、行先表示はデハ3500形などは電動化されることなく差し込み式のものをそのまま使っていた。(©Hahifuheho, CC0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 そうした時はいずれ終わりが訪れるのは如何ともしがたいものがあり、8000系をはじめめとした20m大型車の増備によって18m級中型車が東横線、さらには大井町線から追われると、7000系や7200系、さらには7000系VVVFインバータ制御に改造した7700系といったオールステンレス車が転入してくると、車齢50年以上の老兵である3000系は淘汰されていき、1989年3月18日をもって一斉に営業運用から退いていきました。

 とはいえ、戦前から戦中、戦後の混乱期、さらには高度経済成長期を通して1980年代終わりまで、長きに渡って東急線の輸送を支えた実績は21世紀に入った今日でも語られ続けていますが、意外にもそれを後世に語り続けるであろう保存車は、トップナンバーである3450号が登場時に復元されて電車とバスの博物館に、3499号が保存団体によって長野県内に、そして千葉県にある福祉施設のいすみ学園にデハ3455の3両が完全な状態で残っているのみでした。

 

《次回へつづく》

 

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