旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

いすみ学園に保存の東急デハ3455 クラファンで修復を目指す【後編】

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《前回のつづきから》

 

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 東急の輸送を支えたデハ3450形は、1981年から後継となる7200系や7700系などに押し出される形で順次廃車されていきます。1980年代に入ってもなお、吊り掛け駆動独特の音を響かせながら、東京の下町を走っていたこれらライトグリーンの車両たちも、時の流れには抗うことができなかったのです。

 

池上線連続立体交差工事が進む中を走り去るデハ3450形3466号。1980年代に入ると、戸越銀座駅旗の台駅間で立体交差事業が進められた。池上線の東寺の主役は3000系だったが、手差し式の行き先表示板から、黒地に白文字の行先表示器が設置され、特に夜間の視認性を向上させるなど僅かな改善がされた。既にこの頃には東急でも最古参の部類に入っており、それから数年後に全車が運用を退き、1989年3月19日に立体交差が完成すると一部が地下線化され、3000系はその日の目を見ることはなかった。地下線化されたことで、戦前・戦中製の吊り掛け駆動車は保安基準に適合しなかったことも、この日までにすべて姿を消していった要因であるといえる。(©Hahifuheho, CC0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 多くは廃車後、解体されていきましたが、中には保存されて今日もその姿をもって歴史を語り続けています。

 そんな中で、デハ3455はちょっと変わったところで保存されることになります。

 通常、鉄道車両を保存するとなると、その行き先は博物館や車両を製造した車両メーカ、あるいは地元などの自治体に譲与されて公園などで保存展示されることが多いのですが、このデハ3455はそうした施設ではなく、千葉県いすみ市にある自閉症知的障害者の支援施設であるいすみ学園に譲渡されました。こうした福祉施設鉄道車両が譲渡された例は、筆者が知る限り例がなく、恐らくは全国でもこのいすみ学園だけかもしれません。

 このデハ3455がいすみ学園に譲渡された経緯は、当時の学園の理事長が東急にかけ合い、車両を保有する東急の理解もあって実現したといわれています。廃車になったとはいえ、車両を保有する鉄道事業者にとって、保存を目的とした譲渡にはかなり慎重になる傾向が強く、どこでも誰でも譲ることはありません。譲渡後、適切な状態で保存されることはもちろん、譲渡にかかる費用が負担できることや、保存にかかる維持管理費を負担できるなど、かなりハードルが高いとされています。車両自体は無償でも、相当な経費がかかるので、それを負担できなければ意味がありません。長年、大切にしてきた車両が無惨な状態にされるのを、鉄道事業者としては見たくもないでしょうし、適切な管理がなされず朽ち果てていけばただの金属ゴミとなってしまい、それが元でトラブルでも起きれば、「なぜ、そんなところに譲渡したのだ」と非難を浴びてしまいます。ですから、鉄道事業者としては慎重になるのも当然だといえます。

 そうしたことからも、デハ3455の譲渡は異例だったと考えられるでしょう。それは、車両を保有する東急の理解が欠かすことができなかったことは言うまでもありませんが、いすみ学園の熱意と、その使い道がこうした車両の譲渡を実現させたのでした。

 

千葉県いすみ市にある社会福祉施設いすみ学園に鎮座するデハ3455。同学園の創立者の熱意と、東急電鉄の施設に対する理解もあって、廃車後に整備の上で寄贈され、長年過ごした地を離れてやってきた。同学園ではデハ3455を入所者の自立支援プログラムに活用し、多くの人がここで公共交通機関の利用方法を学び、社会生活に役立てた。保存されている鉄道車両の中で、このような活用の仕方をしている例は類を見ない。しかし、写真のように車体外板には腐食部が塗装を浮き上がらせ、床面も一部が抜けるなど老朽化が進行している。(©TRJN, CC BY-SA 4.0,出典:Wikimedia Commons)

 

 デハ3455の譲渡を受けたいすみ学園は、学園に入所する自閉症知的障害者交通機関の利用方法を訓練する自立支援プログラムに活用しました。こうした自立支援プログラムにおいて、実社会で使われている施設や設備を使うことは非常に有効的で、その中心にデハ3455を活用したのです。そして、デハ3455が据えられた場所には、実際のものとほぼ同じプラットホームも設置され、入所者が鉄道の利用方法を学ぶのに最適な環境を整えています。

 実際、筆者も同じような活動を経験しました。

 特別支援学級の担任をしたとき、在籍する児童と一緒に鉄道博物館に校外学習としてでかけたことがあります。当時は103系とカットボディーが置かれ、プラットホームを模したところから車内に入る体験ができました。もちろん、元鉄道職員でもある筆者は、ホームの歩き方や注意点をレクチャーし、他の利用者の迷惑にならない行動の仕方も教えました。また、列車を待つときは、必ず黄色い点字ブロックの内側にいることや、ここから外で待つことの危険性も指導したものです。

 恐らくは、似たようなことをいすみ学園でも実践してきたと考えられます。それほど実物を使うことは非常に効果的で、社会において自立した生活に繋げていくための学びの場に、デハ3455はその中心たる役目を担ったといえます。

 そのデハ3455も、いすみ学園に譲渡されてから随分と時が経ちました。

 1932年に日本車両で落成し、1984年に運用を退き廃車になるまで50年以上、すなわち半世紀を超える活躍をしました。後継となる7200系冷房車が雪が谷大塚検車区にやってくると、デハ3455はその役目を終えたのです。そして、翌1985年に東急からいすみ学園に譲渡され、現在の地で新たな役割を与えられたのでした。

 そして、今の地にやってきてから既に33年の時が経ち、現役であれば車齢は81年にも上り、走行していないとはいえ単なる保存車とは異なり、自立支援プログラムに活用されていた事を考えると、車両の様々なところが傷むのも当然だといえます。また、屋外に設置されているため、風雨や日差しにさらされ続ければ、工業製品である鉄道車両の老朽化が進むことは避けられません。

 写真で見る限り、デハ3455は保存状態もよく、車両を保有するいすみ学園も、これまで何度も修繕はしてきたと考えられます。それほど、この車両は大切に使われてきた証左といえるでしょう。

 とはいえ、経年による傷みは如何ともし難く、例えば屋根の部分や車体外板は塗装によって護られているとはいえ、塗装の劣化によって僅かなクラックが発生すれば、そこから雨水が侵入して鋼板を劣化させるのは簡単なことです。そして、ドア部分などの開口部は特に雨水に弱く、砂埃など目に見えないものが溜まってそこに雨水が侵入すれば、常に水分を含んだ状態になるので、耐食性の高いステンレス鋼やアルミニウム合金ならさして問題になることもありませんが、普通鋼製の車両はこうした部分からも腐食が進み、車両自体を劣化に至らしめるのです。

 その修繕もまた、簡単にはいきません。車体外板の塗装だけなら何とかなるかもしれませんが、腐食部の補修となると大規模な工事になってしまいます。長く良い状態を保つためには、鉄道車両の修繕や塗装を知った整備事業者でなければ適切な修繕にはならず、それを可能にする事業者はごく限られた数しかありません。当然、その分だけコストは上昇しやすくなりますが、昨今の物価上昇はそれに追い打ちをかけていることは想像に難くなく、いすみ学園もその資金の調達にクラウドファンディングという方法を採ったと考えられるのです。

 筆者は、この東急の歴史を語り続けるデハ3455をいつまでも、状態のよいままでの保存を願っています。それは、貴重な戦前製私鉄電車であり、産業遺産であることもさることながら、鉄道趣味者としての一面であるとともに、特別支援教育に携わった経験のある一人の人間として、国内でも稀に見る役目を担った鉄道車両を、より多くの人に役立ててほしいと願ってやみません。

 

追記:筆者もこのクラウドファンディングに賛同し、募金をさせていただきました。より、多くの方が賛同してくださることを心から願っています。



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 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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