旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 目蒲線時代、数少ない冷房車だった7200系【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 今年も8月は酷暑に見舞われるかと思いましたが、以外にもお盆の時期は雨続きになり、盆明けは再び熱くなったのもつかの間、9月に入った途端に再び天気が崩れて涼しい日が続いています。

 夏になれば、今では当たり前に家にもエアコンがあるので、涼しく快適に過ごすことができますが、筆者がまだ子どもの頃だった1970年代から1990年代初めの頃までは、エアコンがある家はあまり多くなく、ある意味「贅沢品」の一つだったといえるでしょう。

 そんな時代だったので、暑い日は暑いというのが当たり前ですが、やはり快適に過ごしたいと思うのは誰もが思うことです。涼しくて快適に過ごせる身近なものといえば、エアコンを装備した我が家の車か、出かけるときに乗る鉄道がその代表格でした。

 もっとも、新幹線や特急形車両なら、冷房装置も装備しているのが当たり前でしたが、通勤形車両となるとそうはいきません。例えば、筆者の地元を走る南武線は、当時の主力は101系でした。中央線快速や中央・総武緩行線に新車の投入で追われてきた101系が、南武線の主となるべく転用されてきましたが、そのほとんどは非冷房車でした。もちろん、冷房化工事を施工された車両も僅かずつですが増えてきましたが、それでも工期と改造コストが高く付くため、国鉄はあまり積極的には行いませんでした。

 駅で列車を待っていると、白熱灯1個だけの101系は非冷房、シールドビーム灯2個なら101系冷房化改造車か、冷蔵装置を装備した103系だということがわかったので、校舎が来るとそれは嬉しかったものです。

 一方、機会があれ乗っていた東急目蒲線といえば、この頃はまだ吊り掛け駆動の旧性能電車である3000系の牙城でした。3000系と一口に言っても、非常に多くのバリエーションがあり、東急の前身となった目蒲電鉄由来の車両や、池上電気鉄道由来の車両、さらには戦災で損傷したいわゆる「戦災国電」の払下げを受けて復旧したもの、戦後に疲弊した私鉄の輸送力を改善するために配当された運輸省規格型など、同じ系列とは思えないほど、出自も性能もバラバラ。趣味的には面白い系列でした。

 

f:id:norichika583:20200502233503j:plain1987年頃の蒲田駅場内に進入する目蒲線(左)の7200系と池上線(右)のデハ3500。異なる二つの路線の列車が同時に進入する光景は、この頃は当たり前に見られた。鋼製車で吊り掛け駆動の3000系は、1980年代後半も数多くが主役として活躍していて、ステンレス鋼製の7200系は「脇役」の存在だった。国鉄はもちろんのこと、大手私鉄でも多くの吊り掛け駆動車が退いていた中で、東急電鉄は90年代直前まで一線級として使い続けたのは、電装品など当時の優秀品を装備していたことや、更新工事を行うことで最善の状態を保ち続けたこと、目蒲線や池上線のような支線級の路線があり、活用できる環境があったことなどが長期に渡る運用を実現させていた。さすがに老朽化は免れず、この写真を撮影した2年後の1989年に全車が引退していった。(1987年5月頃 蒲田駅 筆者撮影)
 

 1980年代中頃の目蒲線には、3000系の代表格ともいえるデハ3450形や、その改良版であるデハ3500形、大東急時代に制作されたデハ3650形が主力でした。「東急ライトグリーン」と呼ばれる明るめの緑色に塗られたこれらの電車たちは、3両編成を組んで、東京都区内とは思えない私鉄のローカルムードに満ちた目蒲線と池上線を、吊り掛け駆動独特の走行音を轟かせながら走っていました。

 筆者も暇さえあれば目蒲線を訪れては、この3000系に乗って吊り掛け駆動の電車を楽しんだものです。目黒から蒲田まで乗り通すこともしばしばあり、降りるときには独特の振動で足が痒くなることさえありました。デハ3450などが装備する日立HS267系主電動機が高速回転可能な性能だったことで、かなりの速度を出せるために力行時間が多めになったため、立って乗っていると足が振動で揺さぶられて痒くなったのでしょう。

 いずれにしても、戦前製の旧型電車だったので、当然ですが冷房装置などはありませんでした。夏場に乗ろうとすれば、当然車内の温度は高くなるので汗だくになるのは覚悟の上でした。といっても、当時の夏の気温は今日ほど高くはなく、気温が30度を超える日のほうが珍しいくらいだったので、客室の窓を全開にして走ればそこまで暑いという印象はなかったように思えます。

 そんな、緑色の旧型電車が主のように走る中で、ステンレス鋼独特の銀色の輝きを放って走る7200系がいました。数こそは3000系と比べてば一握りにも満たない数しかありませんでしたが、それはそれで存在感のある電車でした。

 というのも、7200系は18m級の車体を持つオールステンレス車です。ステンレス鋼で作られているため、車体自体の重量も軽く、消費電力も3000系とは比べものにならないほど少なくて済みます。加えて、回生ブレーキも装備しているので、省エネ性も抜群でした。

 また、7000系が技術供与を受けたアメリカのバッド社の指導を取りれた、いかにもアメリカらしい合理的な設計とデザインだったのに対し、7200系は先頭車の形状を上下方向に「く」の字型にし、左右方向にも折妻のように折れた「ダイヤモンドカット」と呼ばれる独特の形状も特徴の一つでした。

 そもそもは、7000系の後継として経済性を重視した車両として製作されました。7000系営団地下鉄日比谷線の直通運用を前提としていたため、地下鉄線内からの押上能力を確保するために、全電動車で編成を組む設計でした。しかし、当時の東急電鉄は、経済的効率性を重要視する会社の体質であったため、地上線だけで運用する列車に、地下鉄線乗入れ仕様の全電動車編成を組む7000系では、運用コストも高く付き、経済性に優れないと判断していたのでした。そこで、付随車を編成内に組み込むことを前提とした、地上線用の車両として製作したのが7200系でした。

 

《次回へつづく》

 

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