旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

赤帯からハワイアンブルーへ 伊豆へ渡ったオールステンレスカー8000系【4】

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《前回のつづきから》

 

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 2000年に導入された200系は、長年国鉄JR東日本で運用され続けてきた「老兵」で、いずれ早い時期には代替が必要とされる車両でした。伊豆急としては、やはり塩害に強いステンレス車体をもった車両が本命であり、200系導入後もそのことを模索し続けていたと考えられます。

 伊豆急が一度は譲渡を申し入れたものの、廃車の計画がないとして断られた東急8000系も、時代の流れとともに事情が変わってきました。

 8000系を主力としていた東横線も、この間に大きく変化を遂げていました。その最たるものは、2005年に開通した横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転の開始でしょう。

 みなとみらい線は全線が地下路線で、横浜駅元町・中華街駅間を結ぶ路線です。この路線の開通に伴って、従来は地上高架線だった東白楽駅横浜駅間は地下化され、横浜駅桜木町駅間は廃止になりました。

 この相互直通運転の開始によって、8000系もまた地下区間を走るようになります。それとともに、新型となる5050系の新製増備がはじめられ、徐々に8000系は活躍の場を狭め始めました。

 この5050系の新製増備は、2008年に開始が決まっていた東京メトロ副都心線との相互直通運転の対応のためでした。副都心線との相互直通運転が始まると、同時に東武東上線西武池袋線への乗り入れも始められることになっていました。そのため、従来のように相互直通運転に関しての取り決めは、二社間だけで済むのではなく、関係するすべての鉄道事業者、ここでは東京メトロ東武、西武、そして横浜高速鉄道と東急の五社間での取り決めとなり、運用される車両についても取り決めに準拠されたものでなければなりませんでした。

 そのため、東急は副都心線の開業に向けて、8000系と9000系をすべて5050系に置換えることにしました。乗り入れる車両を1形式に絞ることで、乗り入れ相手もその車両の取り扱いだけを知っていれば良いので、複雑にならなくて済みます。また、運用コストも大幅に軽減できることが期待できるでしょう。

 5050系の導入によって、8000系と9000系は余剰となっていきました。9000系については車齢も浅く、VVVFインバータ制御方式であることから8両編成から5両編成へ短縮させた上、大井町線に転属させて8000系を置き換えることになります。しかし、東横線大井町線の8000系は用途を失い、余剰として廃車されることになります。

 一方、かねてから8000系の譲渡を希望していた伊豆急にとっては朗報でした。オールステンレス車である8000系であれば、ある程度は塩害に強く老朽化も防げます。また、界磁チョッパ制御で電力回生ブレーキも使えるので、運用コストの軽減も期待できます。

 

長く譲渡を希望しながら実現しなかった8000系は、親会社である東急において5050系への置き換えが進んだことでようやく実現の運びとなった。伊豆急行への譲渡に際して、東横線で運用されている8000系に譲渡後の塗装を施した列車を運行するほど、宣伝をする力の入れようだった。これは、同じグループ会社であり、観光地である伊豆への誘客をねらったもので、1998年以降に実施された東急グループの改革の具現化した一つと考えられる。なお、8007Fは当時、東横線での最古参の8000系であり、最後の花道となったが、廃車後は伊豆急ではなくインドネシアに譲渡されている。(8007F「伊豆のなつ」号 妙蓮寺ー白楽 2005年7月 筆者撮影)

 

 また、乗り入れ先であるJR東日本も、E231系の導入によってワンハンドルマスコンの取り扱いにも慣れた運転士が在籍するようになったことから、8000系の導入に対する抵抗感も少なくなったと考えられます。

 2005年から8000系の伊豆急への譲渡が始められて、2007年に計画されたすべての車両の導入が完了し、翌2008年に200系はすべて運用を退いていきました。

 伊豆急へやってきた8000系は、そのまま8000系を名乗りました。ただし、形式名は東急時代は私鉄で多く用いられる「デハ」であったのに対して、伊豆急ではJRと同じ「モハ」となりました。そして、東急のように長大な編成を組む必要はなく、輸送実態に合わせるため2M2Tの4両編成と、2Mの2両編成に組み替えられました。

 4両編成は東急時代にも組むことができた最短編成だったので、Tc+M1+M2+Tcで組成できたので特に大きな改造を必要としませんでしたが、2両編成の方はそのままというわけにはいきませんでした。なにしろ、8000系には制御電動車の設定がないので、先頭車となるクハ8000を電装化させるか、中間電動車であったデハ8100とでは8200に先頭車化改造を施すしかありませんでした。

 結局、伊豆急への譲渡に際して、2両編成を組む車両はデハ8100とデハ8200を先頭車化改造を施すことになり、それぞれの片側を切断してクハ8000とほぼ同じ形状の先頭部を接続する方法がとられました。そのため、先頭車化改造を受けて登場したクモハ8150の前面は貫通扉も設置されるなど、東急時代のクハ8000と大きく変わることがないものとなりました。

 違いといえば、前面窓上にある「通過標識灯」とオリジナルには前面窓下にある補強帯の凸部が無いぐらいで、のっぺりした印象を受けるぐらいでした。この点では、近年、同じく東急から地方私鉄へ譲渡された車両のように、改造コストの軽減を優先させた「魔改造」ともいえる簡易なものとは一線を画しているといえるでしょう。

 運転台機器も、東急時代とほぼ同じものが設置されました。オリジナルの8000系は運転台高さが低いものでしたが、東横線ATC-P化に合わせてユニットを全交換し、田園都市線で運用されている8500系に近いものとなりました。そのため、運転台も高くなり、速度計の周りにはATC特有の車内信号機が設置されていました。

 クハ8000はその運転台ユニットのままで譲渡されましたが、先頭車化改造によって登場したクモハ8150にも、ATCの車内信号機は省略されてはいましたが、同じユニットを設置しました。これは、改造車と非改造車で異なる運転台ユニットを設置すると、運転士の取り扱いも異なることからその分だけ教育訓練が必要になります。

 伊豆急の8000系は、自社線内だけでなくJR伊東線にも乗り入れるので、JR東日本の運転士にも同様の訓練が必要になってしまうのです。そのために、JR東日本から8000系の乗り入れを拒否されてしまうと、伊豆急にとっては大きな痛手になってしまいます。

 実は、伊豆急には苦い経験がありました。

 

《次回へつづく》

 

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