旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 発想はよかったけれど技術が追いつかなかった冷凍貨車・レ90【3】

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《前回からのつづき》

 

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 1962年に新三菱重工三原製作所で製造されたレ90とレ91は、将来の量産を見据えた試作車でした。というのも、国鉄初の冷凍機を搭載した冷蔵車であるレ9000とレサ900は、利用者でもある在日米軍から提供されたアメリカ製冷凍機が使われていたため、国鉄としては国産の機器を使った車両を欲するところでした。

 そこで、レ90とレ91には、それぞれ異なる冷凍機を搭載し比較することにしたのです。

 冷凍装置は車端部に設けられた小さな機器室に設置されていました。そのため、見かけの上ではレム級と同じかそれよりも若干長い車体でしたが、実際に貨物を積む荷室は機器室の分だけ狭くなっていたため、レム級ではなくレ級となったのです。

 車体は従来の冷蔵車とは異なり、金属製の車体をもっていました。屋根もレム5000と同じ三角屋根をもった鋼製車体でした。従来の冷蔵車の多くは木製車体でしたが、鋼製車体にすることで耐久性と断熱性の向上が期待できます。そして、断熱材にグラスウールを使った点でもレム5000と同じでしたが、冷凍状態の貨物を輸送するため断熱性には特に配慮されていました。そのため、熱貫流率は国鉄冷蔵車の中で最も優れた性能をもたされました。

 車体塗装は冷蔵車の標準塗装である白色で、冷凍輸送を示す「冷凍」の文字が、青地に白抜き文字で書かれ、かなり目立つものでした。それだけ、国鉄の冷凍輸送に対する意気込みと、外部へのアピールを狙うとともに、一般の冷蔵車とは取扱いが異なることを示すものだったといえます。

 

レサ900形、レ9000形の実績を受けて、国鉄も機械式冷凍装置を搭載した冷蔵車の開発をすることにした。その試作車ともいえるレ90形は、ディーゼル発電機を搭載し、その発電した電力で装置を稼働させるレ90と、ディーゼルエンジンから直接装置を駆動させるレ91の2両となった。レ90は発電機の分だけスペースを取るため、床下には貨車らしからぬ燃料タンクやディーゼル発電セットも設置されていた。(国鉄貨車形式図 1971年・日本国有鉄道より抜粋)

レ90形のもう一つの試作車であるレ91は、ディーゼルエンジンの動力を直接冷凍装置に伝えて駆動する機械式だった。その分だけ装置自体も小型になり、床下には燃料タンクがあるのみだった。(国鉄貨車形式図 1971年・により抜粋)

 

 全長は8,500mmでレム5000よりも420mm長くなりました。これは、冷凍機などを設置する機器室を設けるためで、可能な限り積載量を確保しながら、必要な機器を載せるためにこのような長さになったのでした。しかし、この機器室を確保したため、最大積載荷重は12トンに抑えられ、レム5000の15トンよりも3トン少なくなってしまいました。もっとも、冷蔵車は多くが15トン未満のレ級で、レム5000のようなレム級は少なかったことから、積載荷重の面では許容の範囲だったのかもしれません。こうしたこともあり、レム5000では床面積が17.17㎡の広さがあったのに対し、レ90では15.5㎡と狭くなりました。

 レ90でもっとも大きな特徴である冷凍機は、車端部に設けた機器室に設置されました。いずれも国産品で、レ90にはディーゼル発電機で発電した電力を使って冷凍機を駆動させる「電気式」を、レ91はディーゼルエンジンを直接冷凍機に繋げた「機械式」が採用されました。前者は気動車やバスの冷房方式でいうところの「機関独立式(サブエンジン式)、後者は「機関直結式(直結クーラー)」といえます。

 レ90はディーゼルエンジンと発電機、そして冷凍装置の3つの機器を搭載していました。すべてを機器室に設置することは難しかったため、ディーゼルエンジンと発電機で構成された発電ユニットは床下に設置されました。貨車としては非常に珍しく、この方式は10系客車など旧型客車を冷房化した際に採用された方式であるとともに、電気式は保守が容易である反面、このように搭載機器が多くなって重量がかさみ、保守にかかるコストは高くなってしまいました。

 機械式を採用したレ91は、冷凍機を直接ディーゼルエンジンに連結して駆動させるため、エンジンは機器室に設置されました。搭載する機器は電気式に比べて少なくなり、重量も抑えることができるとともに、かかるコストも軽減できます。しかし、機械式は電気式に比べて保守が難しいという弱点を抱えていたのでした。

 このように、それぞれ異なる機器を装備して登場したレ90は、東札幌駅常備として低温輸送の試験運用がはじめられました。その成績は概ね良好で、特に低温輸送を欠かすことができないバターを輸送するのに適した貨車であると、荷主の雪印乳業からは好評だったとされています。そして、北海道で生産されたバターを載せ、東札幌・八雲−汐留間で運用されました。

 荷主からは好評だったレ90ですが、国鉄の検修陣の手を焼かせました。そもそも、1960年代当時は、機械式冷凍装置はまだ実用化されたばかりのもので、技術的にも発展途上である部分が多くありました。特にアメリカ製に比べて日本製は技術が未熟であったため、輸送中は常時稼働状態になる過酷な運用もあって、故障が多発したといいます。それは、在日米軍向けに運用され、米国製の冷凍機を装備したレ9000やレサ900と比べても多かったと伝えられています。

 レ90の走り装置は2段リンク式が装着され、設計上では75km/hでの走行が可能でした。登場当時の貨物列車は、最高運転速度が65km/hであったため特に問題にはなりませんでしたが、1968年10月1日のダイヤ改正では貨物列車も最高速度が65km/hから75km/hへの向上が計画されていました。2段陸式走り装置をもったレ90は、この改正で特に問題にはならないと考えられていましたが、ダイヤ改正に先立つ運転試験の結果はまさかのもので、75km/h運転の不適格とされてしまい65km/h指定車になってしまいました。ダイヤ改正以降は黄色帯を巻き、特殊標識符号「ロ」を冠することとされてしまいました。

 せっかく75km/hに対応した走り装置を備え、運転速度の向上による速達性を高め、冷凍品の輸送を可能にできると期待されたレ90でしたが、まさかの65km/h指定車となったことで、顧客の要望に答えられない低速な貨車にされたことで、1968年10月1日のダイヤ改正以降はほとんど使われることがなくなり、半ば休車状態で留置されたままになってしまいました。

 また、モータリゼーションの進展と道路網の整備、自動車用冷凍機の実用化と普及もあって、こうした低温輸送もトラックへシフトしはじめたこともあって、国鉄の冷凍輸送への関心も急速に「冷えて」しまったことも、レ90にとっては不幸なことに改良も施されずに「放置」される憂き目見ることになってしまったのでした。

 こうして、以後4年ほどほとんど使われることもないまま、1972年にレ90、レ91ともに廃車となり、レ90形はわずか10年で形式消滅という薄命な生涯を終えたのです。

 

《次回へつづく》

 

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