旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【5】

広告

《前回からのつづき》

 

 クモユ141の登場から15年がたった1982年、それまで長野地区では郵便車を併結した列車は客車によって運行していましたが、電車へ置き換えることが決まりました。そのため、クモユ141と同様に電車化に際して併結ができる車両が必要となり、郵政省の予算で新製されたのがクモユ143でした。

 クモユ143は先代になるクモユ141を基本に設計されました。車内は前位から運転室、締切郵便室、区分室、休憩室、締切郵便室、運転室の順に配置されていましたが、クモユ141では前位側締切郵便室は小包用、後位側は通常郵便物用であったのに対し、クモユ143では前位側を通常郵便物用、後位側を小包郵便物用と入れ替えられました。そのため、郵袋を積み下ろしするための扉も、前位側は幅900mmの片開き引き戸を、後位側は幅1200mmの両開き引き戸を設置していました。この配置も、クモユ141とは逆になっていました。

 また、乗務する鉄道郵便局員が休憩等に使う休憩室も、クモユ141では4人がけのボックスシートとトイレが区分室とは別の区画に設けられていたのに対し、クモユ143ではトイレは後位側締切郵便室内に、休憩用座席は区分室内に2人がけのロングシートが設けられるなどの差異が見られました。

 郵便車は1960年代後半以降、夏季における郵便局員の執務環境の改善と、郵便物汚損防止の観点から冷房装置を装備するようになりましたが、クモユ143もその例から漏れず新製当初から冷房装置を装備していました。クモユ141ではAU12形分散式冷房装置を4基搭載していたのに対し、クモユ143ではAU13形分散式冷房装置を3基搭載していました。AU12が冷房能力4,500kcal/hであるのに対し、AU13は5,500kcal/hと能力が多少強力になったとはいえ、4基から3基へ減ったことに加え、郵便局員が主に作業をする区分室には、クモユ141では2基の冷房装置で車内を冷やしていたのが、クモユ143では1基に減ったことで、夏季の作業はクモユ141に比べて芳しいとはいえなかったことが想像できます。

 その一方で、国鉄の運転士などが乗務する運転室は、クモユ141と比べて面積が広げられ、執務環境の改善が図られていました。クモユ141ではレール方向の長さが1,210mmであったのに対し、クモユ143では運転士側は2,070mm、助士席側は1,450mmと大幅に広げられました。設計された年代の違いもあり、併結することが前提となった近郊型電車に準じた設計となったのでしょうが、本来、車両を製作する予算を拠出し、その所有をする郵政省の職員が休憩する区画が狭くなり、それを受託する国鉄の職員が乗務するスペースが広がるという、ある意味逆転現象になったという部分では興味深いものがあります。

 走行機器も、クモユ143は運用区間に適したものとなりました。クモユ141は定格出力100kWのMT57直流直巻主電動機を4基搭載していましたが、一方で、国鉄初の1M方式であったため、床下の偽装空間が少なく、新性能電車では必須と思われた発電ブレーキの装備を見送られました。発電ブレーキは、主電動機を発電機としてここから電力を発生させ、その電気エネルギーを抵抗器に流して熱エネルギーに変換して制動力を得ます。こうすることで、車輪を物理的に挟む踏面ブレーキだけでは得られない制動力が期待てきますが、クモユ141は発電ブレーキに必要な機器を搭載することができませんでした。

 

国鉄の予算で製作された郵便輸送に対応した車両は、荷物車との合造車だったが、多くは旧性能電車である72系電車を改造して製作されたものだったため、郵政省の予算で製作された車両との差が大きかった。(©快速踊り子, CC BY-SA 4.0, 出典:ウィキメディア・コモンズ)

 

 また、主な運用区間となる高崎線上越線上越国境超えという山岳路線であるため、新性能近郊型電車は抑速ブレーキを装備する115系電車を配置して運用されていました。しかし、クモユ141は国鉄初の1M方式の新性能電車であったため、主制御器は旧性能電車用のCS10・CS11を一体化し近代化を図ったCS32を搭載したため、抑速ブレーキを装備することができませんでした。

 クモユ143が登場する15年間の間に、技術が発達したことから、同じ系列となるクモヤ143で初めて1M方式に本格的に対応した主制御器である新設計のCS44が完成していました。CS44は主制御器1基で4個の主電動機を制御する1C4M方式で、超並列繋ぎ変え制御を行いながら勾配線区で運用する電車に欠かすことのできない抑速ブレーキと発電ブレーキ、そしてノッチ戻し制御の使用を可能にしたことで、ようやく115系電車とほぼ同じ制動性能を確保できたのです。

 こうして、満足した性能をもったクモユ143は、1982年に3両が製作され、クモユ143-1が長岡運転所に、クモユ143-2と-3が長野運転所に配置されて1982年11月に実施されたダイヤ改正から東北・高崎線信越本線で活躍を始めました。特にこのダイヤ改正では、東北新幹線の大宮暫定開業という大規模なダイヤ改正であったことで、長距離列車の大幅な整理統合が実施されたことで、横浜羽沢−直江津・上沼垂間の郵便荷物列車が新たに設定され、首都圏から上信越方面へ向かう列車にも充てられました。

 こうして、最新鋭の郵便車であるクモユ143は、計画どおりに運用につきますが、悲しいかな、すでにこの頃は国鉄の荷物輸送は縮小どころか激減の一途をたどり、同時に鉄道郵便輸送もトラック輸送や航空便への転換が進んでいたため、先行きは決して明るいものではなかったのです。

 

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info