旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 もとはあまりにも平凡であるなどの理由で注目されなかったのが、ちょっと手を加えただけで非凡なものへと生まれ変わり、多くの注目を浴びるようになったという例があります。

 国鉄が生み出した非電化路線用の標準気動車であるキハ40は、全国各地のローカル線で数多く見ることができた存在でしたが、その性能たるや車体の重量に対して非力なエンジンを装備したがために、鈍足で注目にも値しない存在でした。

 それでも、全国各地で見ることができたのは、これに代わる高性能な気動車がなかったためだともいえるでしょう。先代の標準車ともいえるキハ20系もそれなりの数が残っていましたが、こちらは設計が古く製造からも年数が経っていることから淘汰されつつあり、また、急行形として誕生したものの、本来の用途でもある急行列車が特急への格上げで仕事を失い、ローカル運用に甘んじていたものの、やはり非力なエンジンを装備していたため、平凡な性能しかもっていませんでした。そうした中で、キハ40は新製からさほど年月が経っていない、いわば新鋭車両ではあったものの、さほど注目を浴びる存在ではありませんでした。

 

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滝川駅に停車するキハ40 777。一見すると北海道向けのキハ40であるが、番号が示すように民営化後にワンマン運転対応工事が施工されて、700番代に改められた。ワンマン運転対応工事以外はほぼオリジナルのままなので、数多くが機関換装されて走行性能を改善させたのに対して、JR北海道保有するキハ40系はDMF15HZAのままである。塗装も今日ではホワイトアイボリー地に萌葱色トラベンター色の帯を巻くが、777は国鉄時代の首都圏色を再現したので、かつての姿を彷彿させる。(キハ40 777 〔釧クシ〕 2012年11月23日 滝川駅 筆者撮影)

 

 1987年の国鉄分割民営化によって、キハ40系は数多くの車両が新会社へ継承されましたが、しばらくはエンジン換装などの工事もなく、従前のまま1~3両程度の編成を組んでローカル線をトコトコと走っていたのでした。

 キハ40系が平凡な性能しか持ち合わせていなかったのは、やはりエンジンの性能に尽きると言ってもいいでしょう。装備するDMF15系エンジンは、国鉄が最後に製造した制式ディーゼルエンジンでしたが、排気量15リットルに対して出力はどんなにがんばっても230PSは力不足でした。まして、キハ40系の車体は軽量化が施されても重量が嵩んでしまっていたため、エンジンの性能が見合わないものでした。

 このような非力なエンジンが国鉄制式であった理由はいくつかあります。

 1つには、DMF15系列の出自にあるといえます。DMF15系列は、そもそもが12系や14系といった客車や、キハ181系の電源を供給するための発電用エンジンとして設計・製作さたことでちょう。編成にサービス用の電気を供給するため、DMF15系列は定速で回転し、発電機へ動力を送ることを前提としたものでした。確かに発電用エンジンであれば、高回転かつ高出力である必要がなく、230PS程度の出力でも十分に対応できたのです。

 もう一つには燃料噴射の方法でした。この頃に民生品のディーゼルエンジンは、直噴式に移行し始めていた時期で、特に自動車用のエンジンは排気量が少なくても、それに見合った性能が持たされていたため、さしたる問題にもなりませんでした。ところが国鉄が設計・製作したDMF15系は予燃焼室式だったので、発電機を回転させるためには問題にならなかったのが、これを走行用のエンジンとしたことで「非力だ」という評価になってしまったのです。

 そのキハ40系ですが、1950年代に設計・製造されたキハ10系を置き換えるために、1977年から1982年にかけて製造されました。キハ10系は開発当時は初の本格的な液体式気動車として大量に量産されましたが、当時の技術、特にDMH17系列の性能から、当時の電車と同じ構造の車体を載せてしまうとその出力の低さゆえに、走行性能を維持することが難しいことから、車体断面を小さくすることで車体重量を軽くし、性能を確保したのでした。しかしながら、この車体断面が小さくしたことで居住性に難があり、加えて車内設備も極端に簡素化したことで、サービス水準も低いものになってしまったのでした。

 ところが、軽量車体の製造技術が確立されると、車体断面を電車並みに拡張したキハ20系、さらには近代化したキハ45系と発展していったのに対し、キハ10系は1970年代に入ると早くも陳腐化し、老朽化も進行していたのでした。これを置き換えるために開発されたのがキハ40系で、急行形気動車であるキハ58系とほぼ同じになる拡幅車体を備え、さらに車内設備も他系列の気動車と同じ仕様となるなど、大幅に改善されました。そして、888両と大量に製造されて、国鉄末期の非電化路線での主役となったのです。

 そのキハ40系も、国鉄分割民営化によってすべての旅客会社に継承されて、引き続き非電化路線での地域輸送の主役として活躍し続けることになったのですが、既にお話したとおり、搭載するDMF15系列も改良されMH17系列と比べると出力もわずかに向上したとはいえ、車体が大幅に近代化されたことによって重量が増してしまい、結局は走行性能は向上することが叶わなかったのです。

 そこで、民営化後に継承した旅客会社は、燃費も悪く出力が低いなど性能に難のあるDMF15系列から、燃費がよく出力も高いディーゼルエンジンへ換装するようになります。

 例えば、JR東海が継承したキハ40系は、アメリカのカミンズ社が製造するC-DMF14HZへ換装させました。このエンジンは大型自動車から建設用機械、更には船舶にまで幅広く採用されているNHシリースと呼ばれる汎用エンジンを、鉄道車両用に改良したものでした。カミンズ社のエンジンは、世界的にも数多く使用されているもので、その実績や信頼性は折り紙付きです。この高性能エンジンをキハ40系に換装させることができたのは、やはり民営化によって国鉄時代のような「呪縛」から解き放たれ、民間会社としては至極当たり前である「効率化によって経費を節減する」という観点が発揮した結果と言えます。

 

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札沼線の札幌都市圏区間を、キハ141系3両編成を従えて4両編成で走行するキハ40 401。400番代は基本的に石狩当別以北での運用だが、所属が苗穂運転所なので、検査などを受けるときには入庫回送を兼ねて営業運転に使用されることもあった。キハ141系も形式により差があるが、屋上の冷房装置があることからキハ143なので、搭載する機関も400番代と同じ450PSの出力をもつN-DMF13HZDなので、この編成はかなりの強力編成ともいえる。ただ、この時は翌日にも401が末端区間で運用されており、筆者も乗車しているので、1日の運用を終えての帰区回送を兼ねたものと推測している。(キハ40 401〔札ナホ〕ほか3連 2012年11月22日 新琴似駅 筆者撮影)

 

 こうしたエンジンの換装による近代化は、他の旅客会社でも広く行われ、JR東日本はキハ58系改造の「アルカディア」が走行中に火災事故を起こしたことを契機に、JR東海とおなじDMF14系列に換装して性能を向上させました。また、JR九州は、同じくエンジンを換装させて性能を向上させますが、こちらは建設機械などでも実績のあるコマツ製のSA62シリーズを鉄道車両に改良したDMF13系列を採用し、カミンズ社製が出力350PSであるのに対して、コマツ製は360PSと僅かに高出力でした。いずれにしても、高性能で高効率のエンジンに換装したことで、高性能な気動車へ生まれ変わったのでした。

 

《次回へつづく》

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