旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

さらば客車改造気動車 異端の成功車とその軌跡【4】

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《前回からのつづき》

 

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 キハ143とキサハ144に装備されたN-AU26は、国鉄末期に採用された気動車用の冷房装置でした。元をたどるとデンソー製のバス用機関直結式クーラーで、国鉄が独自に開発したものではない、いわゆる民生品を使うことでコストを大幅に削減したのでした。

 こうして、オハフ51を種車にして、客車を改造して気動車にするという稀に見る方法で登場したキハ141系は、小型軽量で高性能エンジンを搭載し、加えて冷房装置まで装備して新車並みの性能と設備をもち、ベッドタウンとなって人口が増加、混雑が激しくなる札沼線で多くの人を運び続けたのです。

 しかし、2000年代に入るとキハ141系を取り巻く環境は徐々に変わっていきました。

 特に札幌都市圏に入る桑園−北海道医療大学間のさらなる輸送力増強が求められ、それとともに非電化のままだっため電化する計画が持ち上がりました。

 そもそも札沼線は、桑園−北海道医療大学間は札幌市内とその近郊にあり、国鉄が分割民営化された1987年で輸送密度は1日あたり9492人でした。それから年々増加し、2000年には19,971人と倍以上になりました。そして21世紀に入ってもそれは衰えることがなく、2005年には23,168人、2010年には24,909人にも上りました。これだけ増加し続ける輸送量に対して、気動車での運行は電車と比べればスピードアップの足枷にもなっていました。

 また、札沼線の主力であるキハ141系は、改造当時の車齢が浅かったとはいえ、種者の製造からすでに20年以上も経過し、冬季の過酷な気象環境も相まって遅かれ早かれ老朽化が進むことは明白でした。

 

時折雪がちらつき、まもなく夜の帳が訪れてくるであろう薄暮札沼線を走る札幌行き普通列車として走るキハ40 400番台とキハ141系3連の混結4両編成。先頭に立つキハ40は乗降用扉の色が萌葱色、車体はアイボリーホワイトであることから400番台と分かる。後ろにつくキハ141系は車体地色がライトグレーとされているため、こうした混結編成で見るとその色の違いがよく分かる。キハ40 400番台は札沼線末端区間用として、石狩当別駅に常駐する運用だったが、配置区所である苗穂運転所への帰区や、逆に送り込みにはこのように石狩当別以南での運用もあった。前面スカートには雪がこびり付き、冬の北海道の厳しさが伺い知れる。(キハ40 401〔札ナホ〕ほか4連 新琴似駅 2011年11月22日 筆者撮影)

 

 加えて函館本線の札幌都市圏区間千歳線は、国鉄時代に交流電化がなされていて国鉄から継承した711系や、民営化後に製造された721系、731系といった電車が主力となっていました。こうした中で、札沼線だけが非電化のまま残されたため、キハ141系やキハ40系が引き続き苗穂所に配置されて運用が続けられましたが、電車と気動車の混在は効率が悪く、札幌ー桑園間は函館本線を走行するため運転曲線が異なる気動車は、ダイヤ編成上のネックにもなっていたと考えられます。

 こうして、JR北海道と北海道などが出資して設立された第三セクターである北海道高速鉄道開発の事業として、2009年に札沼線の桑園−北海道医療大学間の電化工事が着工し、2012年6月に電化開業を迎え、長らく札沼線の主力として活躍してきたキハ141系は、その主戦場ともいえる活躍の場を失いました。

 札沼線の電化開業によって、キハ141系のうちキハ141とキハ142の一部が余剰となって廃車され、同月中に解体処分されていきます。とはいえ、この時点ではすべての運用を失ったわけではなく、廃車解体、あるいは海外に譲渡された以外のキハ141とキハ142と、キハ143とキサハ144は全車が引き続き、札沼線で電車で運行される以外の運用に就き続けましたが、2012年10月のダイヤ改正をもって全列車が電車に置き換えられ、札沼線での運用をすべて失いました。

 その一方で、キハ143はエンジンの出力が高いことが買われたのか、2両編成5本、10両がワンマン化改造工事を受けて、長年過ごした苗穂運転所から苫小牧運転所へ配置転換され、室蘭本線の室蘭−東室蘭−苫小牧間のローカル列車の運用に充てられ、今しばらくはその寿命を永らえることになったのです。

 

《次回へつづく》

 

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