旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

いろいろな「物」を運ぶ貨物列車 郵便物は令和の時代も鉄道で運ばれている【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 もうすぐ2020年も終わりを迎えようとしています。年が明けたときには、まさかここまで混乱に満ちた1年になろうとは誰が想像したでしょうか。確かに年明け頃には「新型ウイルスによる道の肺炎」が云々というニュースには接していました。まだ、あの頃はどこか遠い世界の出来事で、他人事でしか考えていませんでした。それが、あれよこれよといううちに身近に迫り、しかも突如の「臨時休校」ですべての計画が吹っ飛んでしまいました。

 もっとも、そうした中でもなんとか社会活動も再開されてはいるものの、油断はならない毎日が続いていますが、それでも、年末になると「恒例行事」ともいえる年賀状を書くということは変わらずやってきます。

 年賀状といえば郵便局が1年で最も忙しい時期ですが、かく言う筆者も高校時代は3年間やり通したアルバイトが郵便局での配達でした。あの頃は今ほどギスギスしたものではなく、新入りのアルバイトは職員と一緒になって受け持ちのエリアにある家や会社、そしてそれらのポストの位置を覚え、効率的に回るために決められているルートも覚えたものです。寒い時期ですので、一定のところまで来ると近くの自動販売機で熱い缶コーヒーを買っては飲むのですが、それも職員の方がポケットマネーで買ってくれていたのを思い出します。

 その郵便といえば、かつては鉄道とは切っても切れない存在でした。

 近隣の郵便局同士のやりとりはトラックを使っていましたが、長距離、それもかなりの長距離となると、トラックではなく鉄道で運ばれていました。

 ポストに投函された郵便物は、集配を担当する郵便局で区分されますが、その中でも長距離を輸送することになる郵便物は、この区分であらかじめ郵袋(ゆうたい)と呼ばれる袋に詰められて、最寄りの鉄道郵便局へと運ばれます。鉄道郵便局に運ばれた郵袋から出された郵便物は、ここで方面別に区分され、指定された列車に連結された郵便車に載せられて運ばれていました。

 ここで使われる郵便車は、車籍こそ国鉄にありましたが、郵政省の予算で製造され、その保有も郵政省という、いわば「私有客車」といえるものでした。もちろん鉄道車両なので、その運用と運転は国鉄が担っていたのですが、これに乗務する職員は国鉄職員ではなく、郵政省の鉄道郵便局に所属する郵便局員だったのです。

 郵便車に載せられた郵袋は、郵便車内で開封されここで区分作業がされました。途中で停車する駅の順番で区分作業が始められ、区分を終えた郵便物は再び郵袋に詰められ、当該の駅に停車したときに区分を終えた郵袋が降ろされ、そこの鉄道郵便局に引き渡されるといった具合で運ばれていました。

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郵便車の一つであるオユ14。郵便車の特徴として、「取扱い便」を扱う車両は、車内に区分棚が設置されその中で鉄道郵便局に所属する郵便局員が作業を行っていた。特殊な構造であるため窓は少なく、区分棚の上には採光用の小窓があるのが大きな特徴だった。出典:Wikimedia commons ©永尾信幸, CC BY-SA 3.0

 そのため、鉄道郵便局の職員は揺れる車内で、しかも次の駅に停車するまでの短い時間で大量の郵便物の区分作業をするという、地上の郵便局員には想像もつかないほど過酷な作業に従事していました。

 筆者も郵便局でアルバイトする中で、区分作業を担当したことがありますが、郵便番号と指定された区分棚の位置を覚えていなければ、素早い作業はできませんでした。また、葉書や封筒に書かれた郵便番号を見て、区分棚を見ることなく正確に指定された棚に入れるというのは、一朝一夕にできるものではありません。その神経戦ともいえる作業を、揺れる車内でするのですから、それはもう想像を絶するものだといえるでしょう。しかも、日中だけならまだしも、中には夜行便もあり、加えて区分作業中はすべて立ったままでの作業となるので、その労働環境は想像もつかないものでした。

 これら郵便車は既に述べたように郵政省が所有する車両だったので、車両に取り付けられている銘板は「日本国有鉄道」ではなく「郵政省」でした。もっとも、これらの車両の多くは荷物列車として運転され、中には急行列車などに併結されて運用されるケースもありました。

 郵政省が所有する郵便車は、郵政省の予算でつくられたため、郵便局員の労働環境を改善するために冷房装置が設置されていることも多かったのです。国鉄の車両が冷房化されていない中で、郵便車だけが冷房装置を装備していることもしばしばあったようで、それだけ郵便輸送において鉄道郵便車の役割は重要だったことが窺い知れるでしょう。

 また、中には郵便荷物合造車のように、郵政省ではなく国鉄の予算でつくられた車両もありましたが、こちらは残念ながら冷房装置もないなど、郵便車とくらべて設備面では劣っていました。ですから、乗務する担当経路によっては国鉄が用意した車両に乗ることもあったので、その時の郵便局員はさぞガッカリしたことでしょう。

 さて、前置きが長くなりましたが、こうした郵政省所有の郵便車が活躍したのは1980年代初めまででした。1971年をピークに、郵便物の長距離輸送は郵便局間を直接やりとりできるトラックへと、速達便は航空機へとシフトしていきました。また、この頃の国鉄は労使関係が極度に悪化し、相次ぐストによる輸送障害が頻発したことで、鉄道の最大のメリットであり命ともいえる定時性が確保できなくなるなど、貨物と同様に郵政省からも半ば見限られていたのかもしれません。

 こうして、輸送コストも高い鉄道による輸送を徐々に削減していき、1984年には鉄道郵便局員が乗務して車内で区分作業を行う「取扱い便」と呼ばれる郵便車の運用が休止されます。翌1985年には郵袋を開封せずに輸送する「締切便」と「護送便」と呼ばれる郵便車の運用も休止になり、郵便車はすべて用途を失いって廃車になっていきました。言い換えれば、鉄道による郵便輸送がほぼすべて廃止されたのでした。

 

 ところで余談ですが、筆者が郵便局で配達のアルバイトをする時にご指導くださった本職(バイトに対して、正規職員はこう呼んでいました)の方。どうやら元は鉄道郵便局に勤務していたらしく、他の本職とは違って真面目というか仕事に厳しくも、後輩や非常勤にたいして面倒見のいい方でした。

 地上局の本職の多くはオートバイでの配達になるため、制帽の支給はなかったようですが、この方はそれを持っていました。筆者が貨物会社に就職することを聞いて、他の本職の方は「なんだ、ウチ(郵便局)に来ないのか~」なんて言っている中で、鉄道に行くことをとても喜んでくださっていたのを思い出します。

 所属する組織や仕事も違えど、同じ「鉄道」という場で仕事をするというのは、どこか「仲間」という意識があったのかも知れません。

 

《次回へつづく》

 

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