2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者が鉄道マンになった頃、新鶴見機関区で機関士として電機に乗務する先輩から、こんな話をきいたことがあります。 「夜に事故を起こした時には、警察からも話を聞かれる。その時に、『前灯』…
《前回のつづきから》 8039Fは大規模な更新工事を施されることはありませんでしたが、前面に赤帯が入ったことの他に、細かいながらも時代に合わせた改造が施されました。中でも最も大きかったといえるのが、1997年までに施工された運転台機器の取り替えです…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 いまから30年以上も前のことですが、高校時代は東横線を使って通学していました。当時、公立の普通科高校は学区が定められていて、よほど特別な事情がある場合を除いて、越境をすることができま…
《前回のつづきから》 往路に貨物を積んだコンテナを、復路にも貨物を積もうとするものです。あたりまえのようなことですが、これがなかなか難しかったようで、筆者も鉄道マン時代に駅に到着した空コンテナをコキ車から降ろしている作業を何度も見たことがあ…
《前回のつづきから》 1990年代はじめのバブル経済崩壊と、その後の景気低迷は鉄道貨物輸送にも大きな変化をもたらしました。不景気により生産活動も低下し、コスト削減を目的に生産拠点を国外へ移す企業も続出し、かつてのような需要もなくなって貨物輸送量…
《前回のつづきから》 1987年の国鉄分割民営化によって、鉄道貨物輸送を継承したJR貨物は、引き続き車扱貨物のコンテナ化を推進していくことになります。しかし、すべての貨物をコンテナ化することは叶いませんでした。そのため、国鉄から継承した物資別適合…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 国鉄時代の貨物輸送といえば、ほとんどが運ぶ貨物に特化した貨車が運用されていました。物資別適合貨車と呼ばれるもので、例えば液体や粉体を運ぶタンク車や、粒体などを運ぶホッパ車など、多種…
《前回のつづきから》 デハ3500は電装品をはじめとした機器類だけでなく、車体もまた時代とともに大きく変化していきました。 登場時はよくある私鉄旧型電車の体裁で、丸みを帯びた折妻に近い意匠の非貫通前面と、丸屋根をもつシル・ヘッダー付きの車体でし…
《前回のつづきから》 多摩川園駅は島式1面と相対式2面のホーム構成で、東横線の上り線と目蒲線の下り線がそれぞれ相対式ホームを使い、東横線の下り線と目蒲線の上り線が島式ホームを使っていました。そのため、渋谷方面から蒲田方面へ、あるいはその逆に乗…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者の住まいからほど近い元住吉の車庫(元住吉検車区)には、数多くの車両が並んでいます。東急電鉄の5050・5070系をはじめ、東京メトロの17000系、東武9000系など、自社、乗り入れ他社局の車…
《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 2000年代に入っても、東武は吊り掛け駆動車である5000系を運用し続けていました。冷房装置もなく、走行するときのモーター音も大きく、そして振動も激しいこの古い車両を長年大切に使い続けてきましたが、さ…
《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 1985年から6000系を更新する形で登場した6050系は、種車となる6000系が運用を離脱した順で施工されていきました。そのため、一時は6000系と併結運転をする姿も見られたようです。 一方で、更新工事を進めて…
《前回の続きから》 blog.railroad-traveler.info 一方では鬼怒川線から新たに開業する野岩鉄道、さらには会津鉄道への直通運転が計画されていました。特に野岩鉄道は奥鬼怒川から会津までを結ぶ路線であるため、多くの長大トンネルが存在することになってい…