旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 「目蒲線」が走っていた頃の「多摩川園駅」〔1〕

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《前回のつづきから》

 多摩川園駅は島式1面と相対式2面のホーム構成で、東横線の上り線と目蒲線の下り線がそれぞれ相対式ホームを使い、東横線の下り線と目蒲線の上り線が島式ホームを使っていました。そのため、渋谷方面から蒲田方面へ、あるいはその逆に乗り換えるためには、階段を上り下りしなければならないなど、決して便利なものではありませんでした。もっとも、目蒲線の系統分離によって多摩川線になった現在は、蒲田方面に向かうためには東横・目黒線のホーム下にある多摩川線ホームへ下りていかなければなりませんが、上ったり下りたりではなくなったのが唯一の利点ではないでしょうか。

 発車していく列車なので、乗務している車掌は乗務員扉の細い窓から体を半分出して、ホームの安全確認をしている姿が見えます。車掌の制服も、ライトブルーのシャツを着用していることから、夏季の撮影だということがわかります。この頃の東急電鉄の制服は、冬服は濃緑色の三つボタンの上着とスラックス、制帽も濃緑色と他の私鉄などで採用されていた濃紺ではありませんでした。東急電鉄の制服が濃紺色に変わったのは1990年代に入ってからで、それまでは60年代から70年代の流行りのデザインが残ったものでした。

 夏服もまた非常に特徴があるもので、スラックスは冬服と同じ濃緑色でしたが、開襟シャツはライトブルーのもので、やたらと襟が大きいのが特徴でした。

 そういえば、筆者が高校時代から20代はじめの頃まで付き合っていた彼女のお姉さんの旦那さんは東急電鉄に勤めていて(姉妹して、お相手が鉄道職員というのも珍しかったですが)、制服の話になったときに、あまり着心地のいいものではなかったと話されていました。特に夏服は襟がやたらと開いていて、それでいて大きすぎるので、作業性は芳しくなかったとか。対する筆者が着ていた貨物会社の夏服は、洗っても皺にならないのは良いのだけれど、汗を吸収しにくい材質でできていたので、外での作業が多い貨物業務には不向きだと、酒を飲みながら制服の与太話で盛り上がったものです。

 雨の多摩川園駅を目黒に向かって発車していくのはデハ3500です。吊り掛け駆動独特のモーター音を轟かせ、静かな雨の降りしきるホームを滑り出していきますが、その車体は今日の東急線からは想像もできない、ライトグリーン一色に塗られていました。

 デハ3500もまた、戦前製の電車でした。1939年に東京横浜電鉄が製造したモハ1000がその前身で、全部で22両が製造されました。

 デハ3500が登場した当時は、構成車体の製造技術がある程度熟成した時期で、大正期に製造された構成車体の車両はリベット打ちによる組み立てであったため、それが非常に目立つものでした。デハ3500はそれよりも後、昭和に入って10年以上も経っていたので、ある程度は溶接技術も発達していたので、リベット打ちは一部に留まったことで、非常にスッキリとした車体でした。

 また、車体強度の面でも技術が進歩していたため、大正期に製造された車両は窓が小さく取られていたのに対し、デハ3500は窓の面積を拡大したため、全体として均等の取れたスタイルでした。

 

東急の「名車」とも言われるデハ3450は、戦前製ながらも電装品を中心に「優秀品」で揃えられていた。そのため、戦後も長きにわたって運用されるに至った。後に増備車としてデハ3500も登場したが、デハ3450は大規模な更新改造を受けることなく、新製時に近い丸屋根を維持し、前部標識灯は前面上部に1個のみと、旧形電車のたたずまいを維持し続けた。(デハ3486 ©Hahifuheho, CC0 出典:Wikimedia Commons)


カニズムの面では、先に登場したデハ3450をほぼ踏襲していたといっていいと思われます。主電動機は日立製HS267系を装備していました。この主電動機は端子電圧750V時には、定格出力94kWというものでした。同じ時期に鉄道省が製造していた通勤形電車である40系電車に装備したMT15の定格出力が100kWであったことを考えると、このHS267系は必ずしも高出力の主電動機ではありませんでした。しかし、HS267系は高回転型の主電動機で、1000rpmという回転数を引き出すことが可能でした。そのため、主電動機自体の小型化を可能にしたことや、鉄道省国鉄の制式主電動機と比べて「優秀品」であることなどが、後々、デハ3500を始めとするデハ3450系列を長寿命化させることに寄与したと言えます。

 また、このHS267系列は、デハ3500だけではなくデハ3450とデハ3650にも装備したことで、部品などの標準化を進めることを可能にしました。装備品が共通であることは、検修面でも非常に大きな意味があります。車両ごとに異なる部品を使っていると、それぞれのために部品を購入し在庫を抱えていなければなりません。このことは、運用コストの増大を招く一員にもなります。また、検修に携わる係員にも、それぞれの車両の保守管理に関する知識を学ばせる必要があります。人員面でもコストを増大させてしまうのです。

 一方、共通の装備品であれば、補修用の部品も必要最小限の在庫で済みます。また、量産効果によって単価を下げることも期待できるので、コストの削減にも寄与できるはずです。検修に携わる係員も、その装備に関する知識と技術をもっていれば、たとえ形式が異なる車両でも、検査手順や補修方法も共通化できるので、教育にかかるコストも減らすことができ、検修係員の負担も減ります。

 一方、運転側にも大きなメリットが期待できるでしょう。同じ装備品をもった異なる車両を複数運用する場合でも、走行性能は大きく変わることがないので、ダイヤを編成する上で重要な「運転曲線」の設定も変える必要がなく、比較的ダイヤの設定が容易になります。また、運用面でもほぼ同じ性能であれば、共通運用を組むことができるので、車両運用も特段の配慮が必要なくなります。万一、車両故障が起きて編成から抜いても、形式が異なっても同じ性能であれば、予備車と差し替えて運用に戻すことも可能になります。

 乗務員にとってもメリットは大きいといえるでしょう。運転に必要な機器類が多少異なっても、走行性能が同一か同等であれば、運転操作もほぼ同じです。1形式の運転操作を学べば、同系列の車両の運転操作については最小限の訓練だけで済み、コスト面でも有利に働くのです。

 このことは、デハ3500やデハ3450、デハ3650を長寿にする容易員の一つになりました。戦前製とはいえ、当時の「優秀品」で揃えられた電装品をはじめとする機器類は、戦後になっても衰えることなく、21世紀を目前に控えた1989年まで運用することを可能にしたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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