旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

車扱貨物輸送はなぜ消えたのか〔2〕

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《前回のつづきから》

 

 1987年の国鉄分割民営化によって、鉄道貨物輸送を継承したJR貨物は、引き続き車扱貨物のコンテナ化を推進していくことになります。しかし、すべての貨物をコンテナ化することは叶いませんでした。そのため、国鉄から継承した物資別適合の構造をもった私有貨車を数多く継承することになります。

 というのも、民営化したからといって、荷主の都合も考えずにいきなりコンテナ化することが難しかったのです。国鉄時代であれば、役人根性丸出しにして「廃止するから」の一言で強引に変えることもできたかもしれません。しかし、民間会社のJR貨物がそうした強権的な施策をとれば、たちまち顧客を逃してしまいます。ただでさえ、国鉄時代に築かれてしまった負の遺産ともいえる信頼のなさは、如何ともし難いものがあり、何とか顧客を繋ぎ止めているといっても過言ではない状態だったのです。

 また、当時使われていたコンテナは、その多くが国鉄から継承したものでした。民営化後に新たな規格に基づいて新製されたコンテナも増えつつありましたが、その多くが汎用性の高いドライコンテナか通風コンテナで、いずれも12フィートのものばかりでした。大量輸送に向く20フィートコンテナの多くは、日本通運や日本フレートライナー(FL)など、鉄道利用運送事業者が保有する私有コンテナでした。保冷コンテナに至っては日本石油輸送保有し荷主にリースする形を採るなど、特殊な構造のコンテナを保有していませんでした。

 当時、一部では冷凍機を搭載したリーファーコンテナもありましたが、あくまでもそれは特殊な例で、液体に特化したタンクコンテナはもちろん、粉体や粒体を積むことができるホッパコンテナはほとんど皆無といってもいい状態だったのです。

 そのため、大口の輸送を行う拠点間直行方式を採る車扱貨物が残ったのでした。

 さらに、当時の貨物列車のコンテナ主体の高速貨物列車は、一部で110km/hで運転されるものもありましたが、多くは95km/hで運転されていました。一方、車扱貨物を輸送する専用貨物列車は75km/hで運転されていました。これは、車両の設計最高運転速度に縛られたもので、これ以上の速度で運転することができませんでした。

 分割民営化直後は、旅客会社も国鉄から継承した車両がほとんどで、今日ほどの速度を出すことが難しい状態だったのでさほど問題にはなりませんでしたが、時がたつに連れて新型車両が登場すると、速達性向上の観点から、徐々に最高運転速度が上げられていきました。そうした中で、鈍足な専用貨物列車はダイヤ編成上の足枷となっていき、旅客会社は貨物会社に対して早期に速度の遅い列車の淘汰を要請していくこととなります。

 

鉄道貨物輸送の強みは、大量の貨物を一度に効率的に輸送できることである。今日では効率性と速達性も求められたため、コンテナによる輸送を主体とし、列車自体を高速化できるコキ100系を投入してそれを実現させた。国鉄時代は車両1両を「貸し切る」形での輸送が主体で、基本となる有蓋車を数多く保有し運用していた。そして、貨物取扱駅も数多く設定され、目的地までは何度も操車場を経由しながら目的地まで行く列車を乗り継ぐ「ヤード継走式」が主流だった。写真は有蓋車であるワム60000で、貨物輸送の用途を失った後に白帯を巻いて、事業用車代用として東札幌駅常備の信号機器輸送用として使われた。(ワム66172 三笠鉄道記念館 2016年7月26日 筆者撮影)

 

 もちろん、顧客の要望に沿った輸送サービスを提供する観点から、そう簡単に車扱輸送を利用する顧客を切り捨てることなど、貨物会社としてはできません。しかし、貨物会社は旅客会社の保有する線路を借りて鉄道輸送を営む第二種鉄道事業者という立場のため、旅客会社の要請は無下に断ることもできません。言い換えれば、線路を保有する旅客会社に対して、貨物会社は弱い立場ともいえるのです。

 このようなことが背景になり、1990年代に入ると顧客の要望に合ったコンテナの開発を進め、同時に車扱輸送をコンテナ輸送へ転換する営業を地道に続けることになりました。

 一方で、車扱輸送を利用し続けてきた顧客もまた、時代の流れとともに経営環境が変化していきました。特にバブル経済崩壊後の景気低迷が続く中では、コストの削減が経営上の至上命題になっていきました。そのような中で、保守管理にコストのかかる専用線を維持し続けるのが難しくなりつつあったのです。また、特に製造業では国内での生産は人件費をはじめとして高コストになりがちで、より人件費の安い国外へ拠点を移していきました。そのため、国内の拠点は閉鎖され、同時に数多くの専用線も姿を消していきました。

 このような社会経済環境の変化は、鉄道貨物輸送にも変化をもたらしていったのでした。

 

《次回へつづく》

 

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