旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 目立つことなく縁の下を支えた「山男」たち【前編】

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 仕事の中には人目に触れて目立つものと、目立たつことはないけどなくてはならない存在になるものとがあると思います。
 例えば、運動会では徒競走(最近では全力走という言い方に変わってきていますが)でピストルを撃つ「出発係」というのは、子どもたちからも参観する親御さんたちからも目に触れる、いわば「花形」の仕事だと思います。これから走る子どもたちがスタート位置に並んだのを確かめると、颯爽とピストルを天に向けて撃つなんて、なかなか格好いいと思います。
 その走っている最中に競技を盛り上げるためにBGMが流れていると思いますが、そのBGMを流しているのが放送係。テントの下にいて、放送機器を操作するのですが目立ってはダメ、目立つ時はミスをした時で、そうなるといろいろな人から苦情がやって来ます。でも、実は放送係は誰でもできるものではなく、放送機器の扱いに慣れていたり、先を見通して仕事をするスキルが必要だったりします。
 鉄道の車両でも同じように目立つ仕事をするものと、目立たつことな他の車両にはできない仕事をするものがあります。
 今回紹介するEF64形電機機関車は、どちらかといえば後者にあてはまると思います。

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 EF64形、特に0番台と呼ばれる初期の形式は、主に勾配のきつい路線向けに開発されました。いわゆる勾配線区とよばれる路線で、具体的には中央本線篠ノ井線上越線伯備線などがこれにあてはまります。どの路線も共通しているのは「坂道だらけ」ということです。
 ですから、東海道本線など平らな路線を走る電気機関車とは異なり、必要な装備を身につけていました。例えば、連続した坂道を下るためにはスピードを抑えなければなりません。それならブレーキをかけ続ければいいことじゃない?なんて思われるかも知れませんが、ふつうのブレーキをかけ続けていると制輪子が熱を持ち、やがてその熱が原因で発火してしまうことになりかねません。自動車を運転される方ならお分かりかと思いますが、下り坂では連続ブレーキは禁物というのと同じです。
 では、自動車と同じようにエンジンブレーキのようなものがあれば、安全に坂道を下りることができます。このEF64形にはエンジンブレーキと同じような機器で、発電ブレーキというものをもっています。発電ブレーキは、ふつうなら機関車を走らせるためのモーターを「発電機」として使うことで、下り坂のスピードを抑えるというもの。ですから、ふつうのブレーキを使わずに済みます。
 ところが、この発電ブレーキは一つ難点があります。それは、モーターで発電した電気の持って行き所です。発電した電気はどこかで消費しなければ、モーターは発電機として機能しなくなってしまいます。ですから、機関車の中には電気を消費し、別のエネルギーとして放出するために大容量の抵抗器が取り付けられていました。
 当然、抵抗器からは大量の熱が放出されますが、そのままでは今度は抵抗器が熱で焼けてしまいます。そこで、この抵抗器を冷やすためにこれまた大容量の冷却ファンが備えられ、つねに抵抗器に風を送って冷やしていいるのです。
 もちろん、山間の路線を走るので寒冷地仕様になっています。

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 EF64形が最初に仕事をしたのは、東北の奥羽本線福島県板谷峠という20‰のきつい坂道が連続するところがあります。今では山形新幹線が走っていますが、1964年当時はふつうに貨物列車や客車列車が走っていました。この坂が厳しい峠を上り下りするために、蒸気機関車の時代から補助機関車を必要としていました。
 それは電気機関車になっても同じで、やはりここを通る列車には補助機関車を連結していました。その補助機関車としてEF64形は設計・製造されました。ここを超える列車にとって、とても頼もしい存在です。

 ところが、東北地方は交流電化になることが決まり、奥羽本線も他の路線と同じく交流電化になります。EF64形は直流電機機関車なので、交流電化になると走ることができません。就役からわずか4年で職場を追われてしまいます。
 次に得た仕事場は中央本線篠ノ井線でした。こちらは板谷峠ほど厳しい坂道はありませんが、連続した坂道があるので発電ブレーキをもつEF64形にはぴったりの仕事場となりました。
 稲沢、甲府、長野、篠ノ井を住処にして、中央本線篠ノ井線の客車列車や貨物列車を牽く任に就きますが、それはとても地味なものでした。客車列車は寝台特急などではなく、主に普通列車や荷物列車が中心で、最も「花形」だったのは名古屋-塩尻間の夜行急行「ちくま」を牽いたことぐらい。終始地味な仕事をこなし続けます。
 一時期は長岡に異動し、後輩になる1000番台の導入を前に上越線で乗務員の訓練が行われますが、この時は寝台特急「北陸」や急行「能登」の先頭に立ち、ようやく「花形」の仕事を手に入れました。しかし、これは一時的なもので1000番台が出揃うと、再びもとの住処に戻っていきました。
 やがて中央本線普通列車は電車化され、いよいよEF64形の仕事は貨物列車を牽くことだけになっていきました。

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©Kei365(Wikimediaより引用)

 【後編へ続く】