旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 首都圏に「ロクヨン」が走っていた【1】

広告

 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 毎年春に行われるJRのダイヤ改正では、列車ダイヤこそ基本的に大きく変わることはありませんが、車両の運用についていえば大きく変化することが多々あります。特に貨物列車の場合、列車の運転時刻にも変化も大きく変わることがあるので、それに充てる機関車の運用も大幅に変わります。

 また、民営化後に新製された機関車は経年も浅く、運用コストもそれほどかかりませんが、国鉄から継承した機関車はそうはいきません。製造からの年数も経ち、補修用の部品もそろそろ入手しにくくなるなど、運用コストも徐々に高くなってきています。JR東日本のように、すべての車両を一気に置き換えるだけの財務力があれば話は別ですが、JR貨物にはそのような芸当ができません。年に数両ずつ新車をつくり、少しずつ置き換えていくの精一杯で、その間は国鉄形の機関車を使い続ける必要があります。そのため、国鉄形の機関車にはあまり無理な運用を強いるわけにもいかないので、運用範囲を狭くして老朽化を防がなければならないのです。

 2021年3月のダイヤ改正では、それまで首都圏で走る姿を見ることができたある機関車が姿を消しました。かつては数多く走っていましたが、ダイヤ改正ごとに他の機関車に置き換えられ、ついには運用が1つのみとなっていたのでした。

 その機関車とはEF64。「ロクヨン」とも呼ばれる勾配線区用の直流電機です。今回ご紹介するのは、その「ロクヨン」ことEF64を捉えたこちらの写真です。

 

f:id:norichika583:20210612232646j:plain高崎線を単機重連で走るEF64 1041。国鉄が最後に設計新製した直流電機で、1041号機はその最後のグループである3次形に属する。1982年に製造されて以来、更新工事を受けることなく第一線で活躍を続けていた。(EF64 1041【愛】 籠原駅 2011年7月18日 筆者撮影)

 

 EF64基本番台はJR貨物では既に淘汰されてしまい、残るはJR東日本に在籍する37号機のみとなりました。JR貨物が運用するEF64は、その改良型である1000番代で、「ロクヨン・セン」と呼ばれる機関車です。

 EF64は既にお話したように、勾配線区用の直流電機として開発されました。奥羽本線の隘路でもある板谷峠や、勾配が連続する中央東線は30‰と平坦専用のEF60やEF61では刃が立たず、国鉄線で最も勾配がきつい碓氷峠用のEF62やEF63のような特殊装備は必要ないので、汎用的に運用できる機関車が求められていました。特に板谷峠碓氷峠山陽本線の瀬野八と並んで、国鉄の三大難所の一つに数えられていて、輸送力の改善は急務でした。

 

f:id:norichika583:20210808123514j:plain国鉄直流電機の中で勾配線区用として開発されたEF64は、碓氷峠に次ぐ隘路でもある奥羽本線板谷峠上越線上越国境越え用として開発された。連続勾配を下るために強力な発電ブレーキを装備し、大容量の抵抗器を搭載するため側面のルーバーは大型のものが取り付けられ、さながら「シェルパ」「山男」の名前がぴったりの勇壮な外観が特徴でもあった。(EF64 18 勝沼ぶどう郷駅 2016年12月4日 筆者撮影)

 

 そこで歯車比を低速寄りの1:3.83とし、碓氷峠用のような特殊装備を省略したのがEF64でした。この歯車比はEF62・EF63の1:4.44よりも高速寄りにされていますが、前任であるEF16の1:4.15よりもさらに高速性能を持たせていました。これは、EF16と比べて機関車の出力が強いことと、EF62・EF63の持ち場である碓氷峠と比べて勾配が低いこと、そして汎用性を重視した結果の設定であると言えます。

 また、勾配を登るだけでなく、勾配を下るときに通常のブレーキを多用すると、制輪子が発熱して焼けてしまい、動輪も同じく焼けてしまうことでブレーキ力が低下するどころか、動輪を破損する恐れがありました。実際、EF15が板谷峠を下るときにブレーキを多用した結果、輪心に焼き嵌めした車輪が熱膨張を起こして外れてしまう事故が多発したため、これを冷却するために水タンクを増設し、勾配を下るときには水をかけて冷却しながら走行したり、補機用に改造されたEF16では回生ブレーキを増設するなどの対応をしていました。EF64では回生ブレーキではなく発電ブレーキを採用しましたが、この発電ブレーキを発生した電力を熱変換するために、大容量の抵抗器を設置しました。この大容量の抵抗器から発生する膨大な熱を排出するために、側面はEF60やEF61と比べると大きなフィルターを設け、それとともに冷却するためのブロアーも協力かつ大容量のものを設置しました。そのため、EF64は停車中もブロアーから発生する非常に大きな音が特徴で、線路際で作業をしていてもすぐにEF64とわかるほどの大きな特徴の一つだったと言えます。

 そのEF64も、基本番台が製造終了してから暫く経つと、上越線に残存していたEF16やEF58といっや旧型電機を置き換える必要が生じたため、新たに増備することになりました。しかし、基本番台の製造終了から時間が空いていたこともあり、基本的な性能は変えずに、細かい仕様を時代に合わせたものへと変えたため、新たに1000番代として開発されたのです。

 ご存知のように、EF64 1000番代は従来の電機とは一線を画する側面デザインです。それまでは機器室に給排気をするフィルターは、同じ寸法のものが6個ならび、その上にはフィルターと同じ幅とした採光用の細い窓が並んでいるものでした。もちろん、設計当時はこれがベストだったと思われますが、時代が進むにつれてさらに適切な機器配置としたため、採光用の窓は旧型電機を想起させる四角形で比較的大きなものを配置し、冷却が必要な機器を配置したところには大型のフィルターを設けるという、国鉄電機としては斬新なデザインになりました。

 また、車体寸法も改められ、機器配置を適正化した結果、基本番代の17,900mmよりもさらに長い18,600mmとなり、前面も貫通扉つきと同じデザインながらも、わずかに角張った表情になりました。

 1000番台は高崎・上越線での運用を前提としていました。日本でも有数の豪雪地帯での運用のため、徹底的な耐雪設備を持ちました。機器室内に雪が舞い込んで来ないように、主電動機送風機で送風することで機器室内を与圧し、雪の舞込みを防いでいる点でも基本番代とは異なっていました。

 これだけ基本番代とは異なる仕様となると、同じEF64ではなく別形式を起こされても不思議ではないと考えられます。しかしながら、1000番代が開発された当時の国鉄は、極端に労使関係が悪化していた時期で、新形式の車両を導入しようとするとたちまち労組の反対に遭ってしまいます。いくら国鉄当局が必要だと説いたとしても、労組側は形式が増えることで仕事が増えるという「労働強化」を唱えて抵抗するため、非常に難しい交渉を強いられたそうです。もっとも、いつ故障するかわからない老朽機をいつまでも使い続けるほうが「仕事が増える」ものですが、残念ながら当時の労組にはその考えはなかったようです。

 こうした経緯もあって、EF64の改良型は1000番代に区分されたのですが、この機関車こそが国鉄が最後に開発した直流電機であり、最終号機である1053号機は国鉄が新製した最後の機関車になったのでした。

 

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info