旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第一章・その15「門司機関区での添乗実習・・・関門トンネル」【後編】

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◆門司機関区での添乗実習・・・関門トンネル【後編】

 この間、たった1分程度。九州から本州へ渡る列車にとって、とても重要な運転操作ではあるが、意外にもあっけのないものに少々拍子抜けした感があった。
 そのデッドセクションを通過して機関車の電流を切り替えると、機関士は再びマスコンのノッチを直列から直並列、やがて並列へと進めて機関車を加速させていく。と、緩やかな坂を下り始めたと思ったら、まるで地下鉄でも入るかのように地上にぽっかりと口を開けたトンネルへと入っていった。
 これが関門トンネルだった。

前回までは

 関門トンネルへ入ると周りは真っ暗闇で、機関車の前頭部にある二つの前灯が暗闇のトンネルを照らしていた。そして、下り坂の角度は少しずつ急になっていきながらまるで地の底へでも行くかのように進んでいった。
 トンネルに入ったはじめのうちは溜まった砂埃がある程度の普通のトンネルだったが、その中を進んでいくうちに壁面や天井から漏れてくる水がしたたり落ち始め、酷いところでは滝とまではいかないものの、したたり落ちるというよりは流れ出ているといった方が合っているほどたくさんの水が出ていた。

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 その流れ出る水が機関車の前面窓にバチャバチャとあたり、まるで雨の中を走っているような具合になった。なるほど、機関士が「窓を開けるな」といったのはこのためだったのか。こんなに水が出ているところで窓を開けていようものなら、運転台はたちまち水浸しになってしまうし、自分もビチョビチョになってしまう。
 関門トンネルを通過するときに窓を開けないというのは、実は濡れるからといいう理由だけではなかった。後で知ったことだが、関門トンネルの中で流れている水は塩分が多く含まれている。そう、この水は海水だったのだ。関門トンネルは海底トンネルなので、コンクリートでできた壁面の継ぎ目から海水が浸みだしていたのだった。
 もちろん、トンネル自体は頑丈に作られているので、その海水によってトンネルが破壊されたり、洪水のようになってトンネルが使い物にならないなんてことはないのでご安心を。とはいえ、やはり海水が漏れてくることを完全に防ぎきることは難しく、ある程度は仕方ないようだ。
 そんなトンネルなので、中の湿気はもの凄い。門司駅で停車中から窓を閉め切っていたおかげで機関車の車内も湿度は高い。そこへトンネルの湿気が運転台に入り込んでくるものだから、たちまち蒸し風呂を通り越してサウナかと思えるくらいの蒸し暑さ。オマケに運転台の後ろにはぎっしりつまった電気機器。もちろん、これ以上はない発熱源だから、ある意味ストーブを背負って走っているようなものだ。車内の温度は上がった状態なので、運転台の窓という窓は結露で曇ってしまい真っ白だ。もうこうなると、トンネルを抜けるまでの「ガマン大会」状態。私も首から顔から汗が噴き出してしまい、ブルーの夏服の袖で拭ってもすぐに汗が出てきて何ともし難い状態に何ともし難かった。今日ではこのEF81形は関門トンネルを通過する運用から外れ、すべて新型のEH500形に置き換えられたというから、エアコンも標準装備でこんな蒸し風呂になるなど心配しなくてもいい。だから、トンネル通過も快適なんだろうなあ。

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 こうして海水の洗礼を浴びながら海底トンネルを進んでいくと、すぐに上り勾配に差し掛かった。機関士は再びノッチを入れて、モーターの音を唸らせながら駆け上がって行くと、それまで機関車の車体を打ち付けていた海水の雨もなくなり、急にぱっと明るくなって緑の木々が生い茂る中を走っていた。
 関門トンネルの通過は僅か数分でお終い。狭い海峡とはいえ、海に隔てられた二つの陸地を渡るにはあまりにあっけなさ過ぎて、少々拍子抜けしたものだった。
 門司駅から30分足らずで幡生操車場に到着した。そこで、どこからかやって来たコンテナ貨物列車に連結、出発時刻までそこで待機となった。すると、これから九州へと向かうコンテナ貨物列車を牽いてきたであろう、青く塗られたEF65のPF形が引き上げ線へと走って行く姿が見える。
 その札差には「新」と黒地に白文字で書かれた区名札が差してあるのが見えた。そうか、新鶴見機関区のカマか。入社するまで20年近く住んでいた川崎市にある機関区から、1,000キロメートルも離れたこの幡生まで遠路はるばるやって来たのか。そう思いながら、つい今頃家族は何をしているんだろうか?友人はどうしているかな?なんて、遠く離れた故郷のことを思い出してしまった。社会人になったとはいってもまだまだ19歳。遥か遠くに離れた見知らぬ土地で、家族と離れて一人暮らすのは慣れるまで並大抵ではない。