旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

続・悲運のハイパワー機 幻となった交直流6000kW機【2】

広告

3.新型機関車の発注と契約会社

 EF500の試作機となる901号機は、1試作機が川崎重工三菱電機で開発されます。

 EF200日立製作所が単独で受注しましたが、EF500は二社の共同受注となりました。

 おなじ新型機関車を開発するのなら、ある一社に任せた方が合理的かも知れません。使う目的に差はあっても、性能がほぼ同じなら同じ部品を使う方がコストを下げることができます。この論理からすれば、日立に発注する方が合理的だったといえるでしょう。

 しかし、久しぶりの新型電気機関車、しかも新機軸をふんだんに取り入れるとあって、日立はEF200の受注で手一杯です。しかも、国鉄時代からの手堅い抵抗バーニア制御ならいざ知らず、これまでに経験のないVVVFインバーター制御の電気機関車の開発を一社にのみに任せて、あとで開発が難航したり最悪失敗したりしてしまっては計画が頓挫しかねません。

 また、いくら民営化になったとはいえ、法律によってつくられた会社であり、その株式はすべて国が保有しています。つまり、出資者は国という特殊法人なので、物品や装備品の購入、工事の発注など原則として入札で発注する業者を決定していました。実際、民営化直後のJR各社は、毎年のように会計検査院の監査を受けていました。恣意的な発注は好ましくないのが実態です。
 しかし、電気機関車ともなれば、どこの電機メーカーでもつくれるというものではありません。そこで、電気機関車の開発・製造の経験と実績がある車両メーカーや電機メーカーに入札に応じてもらうか、最悪はJRが指名をして契約をする(随意契約、略して「随契」)方法がとられていました。

 さらに、開発を請け負うメーカーを複数にすることで、電気機関車の製造技術を維持・育成することができるという面もありました。高価で需要が限られる電気機関車は、大量に発注することが見込まれない、いわばオーダーメイドの工業製品でもあるので、こうしたことに配慮することは後々重要な意味をもたせることにもなります。

 これらのことから、EF200とEF500の開発を請け負ったメーカーもまた、別々の会社となったのではないかと思われます。(施設・電気の保守部門が発注する保全工事ですら、業者の選定には神経を遣っていたので、こうした高額で大規模な発注はなおさらだ。)

 EF500の開発を受注した川重と三菱電機は、どちらも国鉄時代からの付き合いがある企業でした。

 川重はその前身となった川崎車輌が蒸機機関車の製造も手がけたことがある老舗です。

 一方、三菱電機はもとを辿ると三菱重工の一部門でした。三菱重工も蒸機機関車や電気機関車などの製造を手がけたことがあり、その会社の電機品の製造部門を分社化して誕生した会社で、川重同様に戦前からある老舗の電装品メーカーでした。

 また、EF500は交直流両用の機関車です。直流専用機とは異なり、交流用の高圧機器を搭載するなど、同じ電気機関車でもその構造は大きく異なります。そのため、交直流両用電気機関車を開発したノウハウが、EF500の開発にも求められました。

 そこで、かつてEF30やEF80といった黎明期の交直流両用電気機関車を開発し量産に至った経験をもつメーカーとして、三菱電機が選定されたのでした。

JNR ef30 6+21fc
▲下関から関門トンネルを抜けて、九州の門司駅へ進入するEF30形交直流両用電気機関車山陽本線幡生駅下関駅門司駅間の短い距離とその間にある関門トンネルを通過する客車・貨物列車用として開発された機関車で、世界で初めての量産型交直流両用電気機関車であった。交流区間門司駅構内だけを走行することを前提としていたため、出力は非常に小さかった。開発主契約者は三菱重工三菱電機で、民営化後初の交直流両用電気機関車の開発も三菱電機が主契約者となった。*1(©spaceaero2 [CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズ経由で

*1:電装品のみで、車体は川崎重工が主契約者