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本州と九州の間を走る列車は、海底トンネルである関門トンネルを通過しなければなりません。そして、この間を通過する客車列車や貨物列車は、下関駅または幡生操、そして門司駅で必ず機関車の付け替えが必要です。これは、昔も今も変わることなく続いています。
旅客列車は電車による運転なので、残念ながらいまでは見ることもなくなりました。かつては東京や関西からやってくる寝台特急は、EF30やEF81に付け替えていました。
貨物列車は昔と変わらず、今なお機関車が牽いているので、やはり機関車を付け替えます。但し、関門トンネルは勾配がキツい上に、常に漏出する海水がトンネル内を濡らしているので、機関車も単機ではなく重連が原則です。今日ではEH500が単機で牽いていますが、これは2両を永久連結して単機とみなしているのでできる技なのです。
筆者(私)が福岡の門司に赴任していた頃は、EH500なんて機関車はまだありませんでした。なので、関門の主役はすべてEF81。その昔はEF30もいましたが、こちらは分割民営化とともにすべて廃車になってしまっていたので、見る機会もありませんでした。
EF81も、もともと関門用に開発されたステンレス車体の特殊仕様である300番代に加えて、一般形から重連総括制御装置を追加した400番代が門司では一大勢力を誇っていましたので、ここで見かける電機のほとんどは400番代でした。
そして民営化後に、増発される貨物列車に対応するため、一部を貨物仕様に改良した450番代も加わり、門司の機待線は僅かに賑やかになっていました。
梅雨時だったか、門司駅に行くとちょうど幡生操から戻って来たEF81の一団に出会いました。
幡生操ー門司間を往来するEF81はすべて重連だったので、単機で回送する列車も当然ですが重連です。しかし、運用の関係と線路容量の関係から、一部の送り込みや入庫となる回送では、列車二つ分をまとめることがあったので、重連+重連の四重単となる列車も多く存在しました。
そして、この写真で捉えたEF81は、先頭を400番代、次位にローズピンクに塗られた300番代一次車、その次には450番代、さらには銀色のボディを輝かせている300番代二次車と、十人十色ならぬ四両四色。何とも壮観なショットでした。
この頃にはこうした眺めは日常的に見られましたが、今日では残念ながら過去のもの。400番代は多くが老朽化で廃車になり、300番代も銀色無塗装の303号機を残して3両すべてが廃車になっています。そして、経年の浅い450番代は関門トンネルの運用をEH500に譲って、ED76とともに九州島内の運用に徹しています。
この写真を見るたびに、かつて不安と期待を抱えながら、門司で過ごしたことや、ここで走り続けていた機関車たちのことを思い出します。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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