暑い夏が近づいてきました。最近の夏の暑さは一昔、いえ二昔前にとは比べものにならないくらいの暑さで、日中の最高気温が30℃を超えるなんて日は当たり前、ともすると35℃を超えるなんてことも珍しくなくなりました。いったい、どこまで暑くなるんでしょうかね?
この暑い夏、一日仕事を終えて帰り道にお店で、あるいは家に帰って冷たく冷えたビールで一杯!という方も多いのではないでしょうか。あの冷えたビールをゴクリと飲んで胃の中に達するのが分かると・・・
「クー---ーッ!」
なんて、思わず声に出してしまいます。
そのビール。
昔から、貨物列車にとっては大のお得意様。いまも、コンテナに載せられて、あちこちに運ばれています。
ビールは今でこそ缶ビールが主流ですが、昔はビンが当たり前でした。私が子どもの頃、ビールといえばあの茶色いビンに入っているのが当たり前。お店で買ってきたビンは、後日酒屋さんや酒を扱っているスーパーマーケットなどに引き取って貰うと、デポジットのお金が返されていて、よくお駄賃として貰いました。
いまでこそ、ビンビールなんてあまり見かけることがなくなってしまい、見かけるとすれば、居酒屋さんか結婚式場、葬祭場ぐらいなものでしょうか。とにかく、ビンは「重い、かさばる、扱いが難しい」ということで、缶にとって代わられてしまいました。
そのビンに入ったビールが主流だった頃から、ビールは貨物列車で運ばれていました。
工場でできたビールはビンに入れられ、そのビンはある程度まとめられた数を専用のケースに入れ、それを一定の数が揃うと木製のパレットに載せて、貨車で運ぶといった具合で、全国に運ばれていきます。
まだ今のようにコンテナが主流でなかった頃は、有蓋車と呼ばれる貨車に載せて運ばれていました。ビールは先述のようにパレットに載せて運ぶことができるので、荷主の要望もあって国鉄はビール輸送に特化した貨車を開発したほどで、それだけ需要があったことがわかります。
その専用貨車はパレット輸送に特化したワム80000形を改造してビールパレット輸送をしやすくした584000番台、585000番台で、なんとその数は470両でした。
ビール工場も鉄道駅の近くにつくられていて、最寄りの駅から工場の中へと専用の線路を引き込み、この専用貨車を工場内へと持ってきて、できたてのビールを載せていました。
©DAJF Wikimediaより
ビールを載せた貨車は再び駅へと運び、そこから貨物列車に連結されて、操車場などを経由しながら全国へと出荷されていました。この当時の貨物列車は操車場を経由して目的地に近い操車場へ行く列車へとつなぎ直され、そこから再び近隣の駅へ貨車を配送する列車につなぎ替えられといったように、文字通り「長旅」をしていました。
時代は流れてコンテナが主流になった今日でも、ビールは貨物列車によって運ばれることが多いです。工場でコンテナに積み込み、それをトラックで貨物駅に持ち込んで、貨物列車へと載せ替えて運んでいます。
有蓋車で運んでいた頃との違いは、コンテナで運ぶということだけではありません。
今のビールは昔と違って「生ビール」が主流。ビールといえども鮮度が大事になったそうです。そのために、西日本にある工場で製造されたビールは、どんなに遠くても西日本地域までしか出荷しないそうです。東日本の工場であれば、東日本だけで飲めるといった具合に。
つい先日も、ビール輸送を報じるニュースがありました。
ビール会社同士が協力して、効率よい輸送をしようと鉄道コンテナを使った輸送を新たに始めるとのこと。これまでも鉄道コンテナを使った輸送は行われていましたが、それは一つのコンテナを一つの会社がチャーターする形態でした。それを、一つのコンテナに複数の会社がチャーターするというもので、非常に珍しいケースでした。
まあ、出荷量によってコンテナに積むビールの数も変わり、少ない時はコンテナの中に無駄なスペースができてしまいますから、そのスペースを有効に活用して輸送コストを軽減することもできますから、お互いによいと踏んだのではないでしょうか。
もっと突き詰めたお話に、その昔はビールの原料となる麦芽も鉄道で運んでいました。まあ、このお話はいずれの機会にとっておきます。
仕事が終わった後の一杯や、お祝い事の乾杯で飲むビール。
こうして、今日もコンテナに乗って私たちのもとへとやって来ています。
余談ですが、私が鉄道マンになりたての頃。鉄道貨物を利用されるお客さんを知るということで、九州にあるビール工場を見学しました。たしか、甘木線に乗って行った覚えがあります。
そのビール工場では、ビールを造る過程はもちろんですが、普段の工場見学ではあまり見ることのない、実際の出荷の場面も見せていただきました。350mL入りの缶ビールが詰め込まれた段ボール箱をパレットに載せ、それをフォークリフトでコンテナに載せるところは、まさにこれからビールが遠くへ旅立つ場面でした。
そのビール。上述のように、西日本のどこかへと運ばれていったようです。まあ、どこへ運ばれていくかは、もう30年近く前のお話なので忘れてしまいましたが。