旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 秩父のセメントを運んだ「テキ」【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 国鉄時代は実に多種多様な貨車が使われていました。有蓋車だけでもパレット輸送ように特化したワム80000や、旧来からある形態のワム90000。さらに冷蔵車や無蓋車など挙げたらキリがないほどバラエティーに富み、操車場の入換作業を一日中眺めていても飽きることはありませんでした。

 そんな多様な貨車の中で、めったに見ることができない、いわば「珍車」を見つけるのも楽しみの一つになっていた時期がありました。

 例えば同じワラ1でも、国鉄籍の車両ではなく私鉄籍の車両を見つけることがありました。私鉄に車籍を置き、国鉄線への直通運用の認可を受けた「直通車」は、外観から用意に判別ことができるように、標記にも様々な規定がありました。

 例えば直通車を示すため、形式番号の下には二重線を引かなければなりませんでした。操車場や貨物駅などの営業掛などは、この二重線が引かれている貨車を見つけると、正しい列車に連結されているかなど特に注意を払ったといいます。国鉄籍の貨車と違って、私鉄籍の貨車は必ず積を置く鉄道事業者へ返却しなければなりません。これは、貨車は旅客車と違って全国どこへでも、必要なところで運用する体制になっていたからでした。

 例えば東京都区内の貨物取扱駅で貨物を積載して、関西地方へ向けて発送したとします。貨物取扱駅から増解結列車に繋がれて、近傍にある操車場へと向かいます。操車場では増解結列車から切り離され、東海道本線へ向かう列車につなぎ直されます。この操車場から一気に関西方面へ向かう列車の設定は少ないので、名古屋地区の操車場へ向かう列車に連結されます。名古屋地区に着いた列車から切り離されて、今度は関西方面へ向かう列車に連結され、再び本線を走っていきます。大阪地区の操車場に到着すると、ここでようやく到着駅に向かう増解結列車へ繋がれ、到着駅で荷受人に引き渡されるのです。

 空車になった貨車は、そのまま次に使われるまで留置されるか、別の駅で必要になったときにはその駅まで空車回送されます。しかし、いずれにしてももと来た東京都区内の駅まで戻ることはなく、次の利用者が富山までの輸送を申し込んでいて、この貨車を使う場合はそのまま富山へ向かってしまうのです。

 私鉄籍の貨車は、このような国鉄籍の貨車と同じ運用してしまっては問題になります。そのため、二重線を引くことでこうした「どこでも運用」にならないよう、注意が喚起されていました。

 また、外観上はあまりにも似ている、ともすると同一設計の同形車ということもあるので、側面には必ず車積を置く鉄道事業者の社紋と、略称でも構わないので社名を掲出することになっていました。ワラ1の場合は、国鉄の他に東武鉄道が同一設計の車両保有していたため、扉には東武の社紋と「東武」と社名がかかれていました。

 さて、貨車の多様さは、運ぶ物によっても変わります。物資別適合貨車を作ることで、貨物に最適化した構造を持つ貨車を製作していたので、当然そのバラエティーは豊富になっていました。

 セメントは鉄道貨物が得意とする物資の一つです。通常、工場で生産されたセメントは、バラ積みのまま専用のホッパ車やタンク車に載せられ、需要地に近い自社のセメントプラントなどに運び、そこでミキサー車に詰め替えて販売していました。

 ホキ5700などはその代表例でしょう。また、タキ1900も代表的なセメント専用のタンク車で、分割民営化から30年以上が経った今日も、中京地区では今なお現役で運用されています。

 しかし、すべてのセメントがバラ積み輸送されていたわけではありませんでした。

 セメントはその多くがバルクと呼ばれる形態で販売されています。バルクとは「バラ」という意味をもつので、言葉通り重さ単位での販売、昔でいうところの「目方売り」です。工場から出荷されたセメントは、需要地近くのセメントサイロに運ばれ、ここから販売会社へトラック輸送されます。このトラックは、ホッパ車やタンク車のような荷台を備え、粉末帯のまま販売会社へと運ばれています。そして、販売会社では水や添加剤を混ぜて生コンクリートに加工され、ミキサー車に載せられて建築現場などの需要地へと運ばれるのです。

 しかし小口の需要となると、ミキサー車で運ぶことは輸送コストの増大につながります。そこで、こうした需要に応えるため、予め工場で袋詰にして出荷する方法があります。袋詰めセメントは1袋25kgで販売され、建築資材を販売する通販サイトや、ホームセンターなどで売られています。

 この袋詰めセメントの輸送は、今日ではトラック輸送で賄われていますが、かつては鉄道輸送が行われていたのです。この袋詰めセメント輸送用の貨車として設計されたのが、鉄製有蓋車だったのでした。

 

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国鉄が製造・保有した鉄製有蓋車自体、その数は少なかったが、私鉄に車籍を置いた鉄製有蓋車はテキ100だけであった。一見すると有蓋車の体をなしていたが、隣に展示されているワキ5000と同形車であるワキ100と比べても分かるように、全高は低めであった。これは、パレットに載せられた袋詰めセメントを積み上げた高さに対応したものと推測され、高さを抑えることで製造コストも軽減できたと考えられる。(テキ117 秩父鉄道車両公園 2014年9月16日 筆者撮影)

 

 鉄製有蓋車は外見こそは有蓋車とほぼ同じでした。しかし、水気を嫌うセメントを輸送するには、通常の有蓋車は適していません。それというのも、有蓋車の貨物室内は積荷の損傷を軽減させるためと断熱のために、内側には木材を使った内張りがされています。ところが、積荷を保護し断熱するための内張りも、木製であるがゆえに湿気を吸収しやすいため、セメントのような水気で変質してしまう貨物には不向きだったのです。

 そこで、木材を使った内張りをなくし、屋根も鋼板にするなど湿気を吸収する木材を一切使用しない、言葉通り「鉄だけで作った」有蓋車が鉄製有蓋車だったのでした。

 テキ100は1959年に30両が製造された鉄製有蓋車でした。車籍は秩父鉄道に置かれた私鉄車両です。袋詰めセメント専用の貨車でしたが、国鉄に車籍を置く私有貨車ではなかったので、車体には輸送品名に標記がありませんでした。そして、このテキ100を利用した輸送の荷主は、実質的にはは秩父鉄道の関連会社である秩父セメントでした。

 

《次回へつづく》

 

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