《前回のつづきから》
トリはコキ車 それは見た目で区別がつきにくいから
長々と貨車の色に込められた「意味」についてお話してきましたが、最後のトリは今日の鉄道貨物の主役でもあるコンテナ車についてお話したいと思います。
コンテナ車はいうまでもなく、コンテナを載せるための貨車です。この貨車は原則として私有が認められない形式で、国鉄時代には私有コンテナ車は存在しませんでした。どうしてもコンテナで輸送しなければならない事情がある場合は、一般的なコンテナではなく、専用の特殊なコンテナを載せることを前提として、長物車に分類されたチキ80000がありましたが、これはあくまでも例外でしょう。
民営化後もコンテナ車の私有は認められていません。民営化によって、ある程度は融通が聞くようになったとはいえ、JR貨物の主力であるコンテナ車の私有を認めれば、運用も煩雑になるばかりでなく、主力商品が利用する企業の都合に振り回されるなど、好ましくない点が多くあるからです。
ただし、ここでも例外はありました。
JR貨物の傘下にある鹿島臨海鉄道が、一時期だけコキ200の私有貨車版であるコキ2000を保有していました。2001年に製作されたコキ2000は、2004年には製造から3年しか経っていないにもかかわらず、廃車・除籍されてしまいました。理由は定かではありませんが、わずか3年はあまりにも短命だったといえます。コキ2000を記録した写真を見て興味深いのは、形式車番の標記の下には1本の細い線が記されています。かつて私鉄などが保有する貨車が国鉄線へ直通するときには、国鉄直通承認を得て、形式車番のしたには直通車を現す二重線が引かれていました。コキ2000も、おそらくはこの国鉄直通車と同じようなプロセスをたどったのか、JR貨物直通承認を表していたのではないかと考えられます。
さて、前置きは長くなってしまいましたが、国鉄の貨物輸送の中でコンテナ輸送は歴史が浅く、1959年から汐留ー梅田間を結ぶコンテナ特急「たから」の運転開始から本格的に始められました。コンテナ特急「たから」はその名の通りコンテナ専用列車で、途中の吹田で機関車付替えのための運転停車をするのみで、汐留を19時35分に発射し、梅田には翌6時30分に到着するという、当時の貨物列車としては驚異的な速さで結んでいました。
コンテナ車はコンテナを積載しているときはその特徴がよく表れているが、空車の時は長物車に非常に似ているので識別がしにくい。そのため、長物車と容易に区別ができるために、赤3号で塗られていた。この塗装は後継となるコキ50000にも踏襲され、分割民営化後も長らくこの塗装は維持され続けた。民営化後に鉄道マンになった筆者にとって、赤3号を身に纏ったコンテナ車は、国鉄時代に製作された「旧式」車で、青色に塗装されたコキ100系は床上高さがわずかに牽くなった「新式」であると認識していた。それだけ、貨車は塗装の色で識別できることが、ある意味では重要だったといえる。(写真はコキ5500をコキ50000と同等の性能をもたせる改造を受けたコキ60000 ©spaceaero2, CC BY 3.0, 出典:Wikimedia Commons)
このときに本格的なコンテナ車として製作されたのが、チキ5000でした。コンテナ輸送が始められた当時は、貨車の称号規定にコンテナ車を表す「コ」はなく、「コ」は鉄道車両の重量を正確に測るための分銅を積んだ衡重車(こうじゅうしゃ)に割り当てられていました。また、コンテナという長いものを載せるので、長物車に分類して「チ」を割り当てるという、今となってはなんとも無理のある理由をこじつけたようにも感じますが、当時は真面目に長物車へ分類したのです。
長物車といっても、在来車とおなじように電柱やレールなどを運ぶことができません。コンテナを載せるための緊締装置が取り付けてあるので、用途は限定されます。しかし、見た目には他の長物車と大きく変わらないので、やはり識別できるようにする必要がありました。
そこでチキ5000は登場時から赤3号で塗られて登場しました。この色であれば、他の一般の長物車と間違えることはないでしょう。
汐留ー梅田間のコンテナ列車の試験運転の結果、良好な成績を得たことから、コンテナ積載専用の長物車であるチキ5500が量産されるようになります。この量産されたチキ5500を使用して、本格的にコンテナ特急貨物列車として登場したのが「たから」だったのです。
コンテナ輸送は荷主から一定の評価を得たこともあり、順次拡大していきました。チキ5500を25両で組成した「たから」も1日1往復から2往復へと増発され、他の地域へは一般の貨物列車に組み込まれる形でサービスの拡大をしていきました。
1965年に車両称号規程が改正されて、長物車に分類されていたコンテナ専用貨車は、ようやくコンテナ車となり、記号も「コ」が与えられました。チキ5000とチキ5500はそれぞれコキ5000とコキ5500に改称され、同時に「コ」を使っていた衡重車は検重車と改められ、記号も「ケ」とされました。
コンテナ輸送は従来の車扱輸送とは異なり、発送する顧客の玄関先までコンテナを持っていき、そこで運ぶ貨物を載せることができます。有蓋車では、発送する貨物を一度トラックなどに載せて貨物取扱駅へ運び、ここでトラックから有蓋車に貨物を載せ替える方法を採っていました。また、大口の顧客などは貨物取扱駅の近傍に工場や倉庫などを構え、そこへ貨車を引き込む専用線を敷いているケースも有り、手間もコストも掛かっていたのです。
まさに、コンテナ輸送はこうした手間も設備も要らない画期的な方法で、当時のコンテナに書かれていた「戸口から戸口へ」のキャッチフレーズは、まさに新しい輸送体型をアピールする国鉄の期待と意気込みを物語っていたといえるでしょう。
筆者が電気区勤務時代に、資材倉庫として廃コンテナとなったC10を使っていましたが、色あせたうぐいす色の塗装に、これまた薄くなった「国鉄コンテナ」の標記の下に、「戸口から戸口へ」と登場時のキャッチフレーズが書かれていました。また、幼少の時代に見学に訪ねた梶ヶ谷貨物ターミナル駅の駅本屋の上には、コンテナを模した看板に「コンテナ超特急」というフレーズも書かれていました。超特急とはいささか大げさにも思えますが、当時としては発送すると到着するまで日数がかかり貨物輸送の中で、操車場を経由しない輸送体型となったために従来と比べて短時間で送ることができるコンテナ輸送は、まさに「超特急」だったのでしょう。ちなみにこの看板は、筆者が電気区派出にいたときにも「コンテナ超特急」のフレーズは残っていて、今日も見ることができます。
《次回へつづく》
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