旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・転轍機(てんてつき)の定期検査【後編】

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転轍機(てんてつき)の定期検査【後編】

 別の日に、新鶴見機関区で転轍機の検査があった。
 鉄道がお好きな方ならご存じだと思うが、新鶴見機関区は首都圏の貨物列車の要衝だ。
 東北線高崎線、中央線から東海道線方面に向かう貨物列車は、ほとんどが武蔵野線を通って隣の新鶴見信号場にやってくる。この新鶴見信号場で多くの列車は機関車を付け替えるので、新鶴見機関区はその待機場所にもなっていた。
 それだけではなく、機関車の付け替えがない列車もここで機関士が交代をするので、新鶴見機関区には多くの機関士が所属している。それに、EF65形やまだ試作段階だったがEF200形やEF500形といった電気機関車も所属しているので、これらの機関車の検査も担当している。

 そんな機関区の構内は、線路がたくさん敷かれていて、当然転轍機の数も貨物駅並みにたくさんあった。しかも、昼夜を問わず入換作業が多いので、転轍機は手動式ではなく電気転轍機が設置されていた。
 いつものように公用車のライトバンから降りると、自分の道具が吊り下げられたベルトを腰に締め、作業で使う大型の工具を持って現場へと向かう。さすがに入換はかなりの低速なので、線路に敷かれた砕石も疎らで多少は歩きやすかった。

 目的の転轍機の傍まで行くと、いつもどおりに工具を下ろして下準備。すぐに工具が使えるように並べておくが、他にも新人のやるべき仕事がある。
 電気転轍機はモーターの力で分岐器を転換させるので、人の力は必要ないので楽といえば楽だ。だが、検査の時には電気転轍機の蓋を外さなければ検査ができない。
 ところが、この蓋はとにかく重い。
 何しろケース自体も鋳物でできていて、蓋も同じく鋳物。信号鍵を外して、長さは1m弱、幅は50cm弱ほどの蓋を持ち上げてそれを転轍機の脇に置くのだが、ちっとでも気を抜こうものなら蓋を落としかねない。自分の脚に落とすのならまだしも(もちろん、そんなことをすれば痛いしケガもしてしまう)、転轍機の中に落として壊してしまっては運転事故になってとんでもないことになってしまう。だから、蓋を外す時と取り付ける時は、力も必要だったが、集中力と注意力も必要だった。

 蓋を外した転轍機は目視で検査する。配線に異常はないか、特にケーブルを覆っている「被覆」と呼ばれるビニールに傷や劣化がないかを調べる。万一、傷が入ったところから電気がとんでもないところに流れてショートしたり誤動作を起こしてしまっては大変だ。
 そして、モーターがトングレールを動かす摺動部に、もってきたマシン油を注入すると、手動ハンドルを回して何度か転換をして馴染ませる。
 もちろん、線路の部分も点検する。鎖錠状態を確かめるためにスパナをトングレールと基本レールに挟み込んで動かし、動く範囲が許容範囲に収まっていれば合格。だが、たいていの場合、一回で合格をする転轍機などはあまりなく、必ず調整をしなければならなかった。まあ、それだけ車両が通過する頻度が高いということだから、極端な鎖錠狂いがなければ点検し調整する身としては大して気にしなかった。
 鎖錠が甘い状態だと調整しなければならない。調整は、もってきた大きなスパナをつ使って、トングレールと転轍機をつなぐ部品のナットを回して調整をする。ナットを回しては再びトングレールを動かしてみて、再びナットを回してみると言うことの繰り返し。地味な作業だが、安全輸送を支える上では重要な点検なので手を抜くことはできない。

 一通りの検査と調整が終わると、再びあの重い蓋を持ち上げて電気転轍機を閉じる。信号扱所で転轍てこと呼ばれるスイッチを操作して転轍機を動かし、目視で作動状態を確かめる。これで不具合があればもう一度調整をし、何もなければ合格ということで検査は終わりだ。
 こう書いてしまうと、なんとも簡単な仕事に思えるかも知れない。
 だが、実際にはかなりの知識と技術の要る仕事だった。転轍機の鎖錠状態を確かめる時、トングレールの動きがどの程度までが許容範囲なのか、それを判断できるようになるまでには何度も同じ作業をする必要があった。私も1年以上経って、ようやく先輩から「だいたい分かってきたようだな」と言われるようになった。
 それに、基本レールとトングレールの間にスパナを差し込んでする検査にもコツがあった。単に差し込んで動かすのではダメ。差し込む角度や動かし方にも方法があって、初めの頃は先輩がやって見せてくれたのを、同じようにやってみるが「それじゃダメだよ」と言われる始末。これがなかなか難しく、これを習得するまでにはかなりの時間がかかったことを憶えている。
 まさに経験がモノをいう職人技で、20年以上も経験を積んだ先輩方の足下にも及ばないが、とにかくことの時は仕事を覚えることに必死だった。
 いま現役の鉄道マンで、電気関係に携わる若い人たちにこの作業ができるかどうかと考えてしまう。それだけ現場に出ることも少なければ、こうした作業を通して施設に触る機会も減ってしまったから。