旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

続・悲運のハイパワー機 幻となった交直流6000kW機【6】

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 新年度に入り、予想を遙に超える仕事の忙しさに文字通り「忙殺」されてしまったおかげで、予定通りの更新がままならない状態が続いております。楽しみにされていた皆さまには本当に申し訳なく思います。
 いましばらくはこの状況が続いてしまいますが、できる限り記事の執筆を続けて参りたいと思います。

7.試作機による試運転を開始するも・・・

 EF500の試作機901号機が1990年8月に落成すると、生家である兵庫県神戸市の川崎重工兵庫工場から、最初の住処となる新鶴見機関区に送られてきました。新鶴見には、先に落成したEF200の試作機も配置されていました。

 JR貨物が新しく開発した機関車たちは、DF200を除くすべてが新鶴見を最初の住処にします。その理由は、この新鶴見機関区には本社の技術開発室の出先機関が置かれていたためでした。

 この本社技術開発室は新型車両の開発を担っていた部署で、民営化後につくられ始めたコキ100系貨車を始め、多くの新型車両の開発を手がけていました。そして、新鶴見におかれた出先機関では、主に新型電気機関車の開発を担当していました。そのため、貨物会社の虎の子となる予定のEF500とEF200は、車両の配置自体は新鶴見でしたが、実際には新鶴見機関区は機関車の整備・点検などといった法令で定められた必要不可欠な業務と、試運転列車を運転するときの乗務員の手配だけで、運用や管理はすべて本社技術開発室の管轄でした。

 このため、EF200とEF500は所属こそ機関区でしたが、自区に配置の車両といえども手出しができない存在だったのです。そのためなのか、2両の試作機関車は常に検修庫の海側にある仕業検査線に留置されることが常で、庫線や機待線に引き出されたときは試験走行など「何かがある」ということでした。

 工場から送られてきたEF500は、EF200とともにさっそく試験運転を始めました。

 初めのうちは負荷となる死重を積んだコンテナを満載した貨物列車ではなく、機関車単機によるものでした。単機運転では機関車自体に負荷がないのでフルパワーを出す必要もなく、これといって問題もなく順調に進んだかに見えました。

 電気機関車としてはじめてVVVFインバーター制御と、1台あたり1,000kWという大出力の交流モーターを採用したことから、これらが正常に動作するかが目的だったようでした。

 単機での試運転が概ね良好だったことから、いよいよ本格的な試験へと進みます。

 実際の運用を想定しての試験は、営業運転を模した列車を牽くことです。コキ車(コンテナ貨車のこと)に国鉄から引き継いだ用途廃止目前の古ぼけたC20やC21コンテナに死重を載せて、機関車に負荷をかけての試験走行でした。

 この試験列車はほとんどが深夜の運転で、稀に日中にも行われることがありました。山手線と同じうぐいす色に塗られたコンテナがずらりと載せられたコキ50000で組成された列車は、はじめは短い編成で、そして徐々にその数を増やしていき、最終的にはEF500が本領を発揮する1,600トンとなる26両編成へと伸ばす予定だったようです。

 この試験列車を筆者も一度だけ、実際の試運転列車の走行を目の当たりにしたことがあります。

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新鶴見信号場を発車するEF500-901試験列車。次位には交直流試作機のED500-901も連ねている。死重を搭載したコンテナを満載したコキ車で組成し、重量試験が行われた。試験列車の後方にはクリーム色のホキ2200で組成された貨物列車の姿があり、線路施設も新しく基盤整備直後の1990年代前半ということがわかる。線路際の柵の外は空き地のままだが、現在はこの場所は公園となっている。 出典:ブログ「撮影☆日記」©taka様より


 東海道貨物線の塩浜操駅(現在の川崎貨物駅)で待機する試験列車は、ずらりと並んだコンテナを積んで長い編成に組まれたコキ車は壮観でした。もっとも、コンテナを満載した貨物列車など、実際の営業列車では滅多に見られるものではありませんでした。バブル経済が崩壊し、景気が一気に冷え込んだ影響なのか、貨物の輸送量も目に見えて減っていき、コンテナを載せてない板ッペラだけのコキ車をたくさん連結した列車を見ることが多くなっていたので、その姿には圧倒されもしました。

 そんなコンテナの中に、エンジン音を唸らせているコンテナと、窓から明かりが漏れているコンテナがありました。このコンテナは事業用の特殊なもので、試験のための計器類を積んで計測と監視をする人を乗せるZ-1と、それに電源を供給するエンジンと発電機を積んだZGZ-101でした。国鉄時代なら試験用につくられた専用の客車が用いられたのを、民営化後はそれぞれの事情に合わせていったのでしょう、JR貨物はこうした特殊なコンテナをつくっていたのでした。

 試験列車の試験走行を重ねていく中で、いよいよ問題を顕在化させていきました。

 その一つがインバーター回路から漏れてくる「電波」でした。専門的な言葉で言えば「誘導障害」と呼ばれるものですが、簡単にいえば電子回路に流れる大きな電流が原因で、不必要な電波が漏れて他の電気機器に悪影響を及ぼしそれらが正常を妨げるというものです。

 この誘導障害となる電波が、EF500から撒き散らされていたのでした。

 ただ単に電波が出ていたのなら、どのような電子機器にもあることですが、EF500のそれはあまりにも強力だったようです。そのため、EF500が走ると沿線の住宅にあるテレビの画面が乱れて苦情が来たとかいう噂話もありましたが、何よりも深刻だったのがEF500が撒き散らす有害な電波が、信号機器にも大きな影響を及ぼしてしまったのでした。

 自らが走る線路の安全を守る信号機器が、自分が撒き散らした電波障害によって正常な動作をしなくなるというのは、ある意味致命的でした。

 EF500の問題はそれだけではありませんでした。

 EF200とともに、1列車で組成ができる車両の数を最大で26両と想定し、総重量1,600トンという超重量列車を牽くために出力6,000kWというパワーを発揮しようとすると、EF500が電気を大食いしてしまうため架線の電圧が下がって他の列車が正常に走れなくなったり、ともするとその大容量の電気を消費することに耐えられなくなった変電所の機器を壊してしまったりするなどのトラブルを起こします。

 こうなると、電力設備を始めとする線路を自らが保有し維持管理をしている旅客会社にとって、問題だらけの電気機関車を黙って見ているわけにもいきませんでした。試作車の試験走行とはいえ、設備を壊されてしまっては通常の旅客列車の運転に大きな影響を及ぼしてしまいます。

 自らが保有線路はなく、原則として旅客会社の線路を借りて列車を運転している貨物会社の立場は弱く、旅客会社から改善あるいは運転の中止の要請があったのでしょう、試作車である901号機も落成から1年を経たずして本線上を走る機会は失われていきました。