旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・電話が通じない!信号機器が動かない! その正体とは【前編】

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電話が通じない!信号機器が動かない! その正体とは【前編】

 電気区の仕事というのは、日常の検査だけではなく修繕もとにかく多かった。
 特に貨物駅にある施設の多くは老朽化が進んでいて、管理をする側にとっては苦労も多い。その理由は、国鉄時代、貨物はとにかく稼げない部門で、稼げないところの施設の修繕には予算が付きにくかったそうだ。

 それが民営化になっても、会社は古くなった車両の交換やら輸送力を増やすための新型機関車の開発やらで手一杯になり、限られた収入の中から何とかそれらの費用を捻出している状態で、施設の修繕費用にまで予算を回してもらえなかった。

 だから必要最低限の施設だけを使うことにして、後は使用休止にすれば費用も少なくて済むという発想になったが、それでも電気設備というのは電気的につながっていれば使おうが使うまいが老朽化は進むものなので、結局障害が起きると直さなければならない。
 直さないでそのままほったらかしにしようものなら、症状がますます悪化してしまい、仕舞いには旅客会社の設備にまで悪影響を及ぼし、関係ない列車の運転を妨げてたくさんのお客さんにご迷惑をおかけしてしまうなんてことにもなりかねない。

 少ない予算の中で、何とかやりくりしながら設備を維持するのはほんとうに苦労をさせられた。
 だからというわけでもないが、いまでも手持ちのアイテムを駆使しながら、できるだけ予算を使わないで目的を達成する方法を考えるのが得意技になってしまった。

 そういった実態の中にあったので、他の区所から電話がかかってくると、多くの場合は故障や障害といった類の連絡であり、出動要請だった。

 新鶴見機関区から電話が入ってきて、隣にある新鶴見信号場から東機待線に入る線路にある転轍機が不転換を起こしてしまった。連絡を受けた主任は、すぐに新鶴見機関区構内の配線図(駅や区所の構内の線路配置と信号機器の図面)を広げて場所を特定すると、すぐに機材を積んで出動となった。
 この時は、私と同期、そして信号を担当する技術係の先輩と主任の4人が先発して、あとから応援で電力を担当する主任と通信を担当する技術係の先輩がやってきた。ほとんど総出での出動になった。

 ところが、現場へと向かう公用車の中で、主任が不思議そうにしていた。
 確かに転轍機が不転換を起こしているのだが、機関区の信号扱所の人の話では、不転換が起きるときと起きないときがあるらしい。それに、転轍機がどの方向に開いているかを示すランプも、時折点滅するとかしないとか。
 経験が浅い私でも、その話を聞いていてちょっとおかしかった。

 新鶴見機関区の現場について、電気転轍機の蓋を開けていつもの検査の手順どおりに転換スイッチを操作すると、なんのこともなく転轍機は正常に動いてしまった。

 こうなると、いったい何が原因なのか?私や同期はわけが分からなかった。

 ところが、信号を担当する技術係の先輩は、思い当たることがあったらしく、電気転轍機につながっているケーブルを収めたコンクリートのトラフ蓋を開けてみると、「ああ、やっぱり!」と叫んだのだ。
 主任も「やっぱりやられた?」と原因が分かっていたようで、蓋の開いたトラフを覗き込んだ。私も何が起きたのかと興味津々にトラフを覗き込んだが、そこには黒い絶縁被覆が巻かれたケーブルがあるだけだった。

 この事故の原因は、なんと「ネズミ」だったのだ。

 平成の時代にネズミなんてと思われるかも知れないが、鉄道の構内ではよくあることらしい。かくいう私も「ネズミですか!?」なんて、ビックリしながら訊いてしまったくらいだ。

 すると先輩は、「ナベちゃん、ここを見てごらんよ」と言いながら、ケーブルを指さしたところに、何かでひっかいたような傷があった。それも一か所だけでなく、至る所に同じようなひっかいたような傷があった。
 このケーブルにつけられた傷は、ネズミが歯で囓った痕。被覆を削るだけなら問題はないが、被覆を通り越してケーブルの導体・・・つまり金属の銅線にまで及ぶと、ケーブル同士が短絡を起こしたり、あるいは断線したりして信号機器が正常に動作しないという厄介なものだった。

 後からやって来たもう一人の主任も、「やっぱりネズミだったか」と、これまた分かっていたような口ぶりに、やはり経験者は違うなぁと改めて先輩たちのすごさを思い知ったものだった。

 こうして、転轍機が不転換を起こした理由はわかったが、問題は原因となっている場所だ。転轍機から信号機器を制御しているリレー室と呼ばれる部屋まで、電気ケーブルで接続されている。
 こう書くと簡単に思えるかもしれないが、広い機関区の構内に張り巡らされたケーブルトラフの中にケーブルは納められているので、ネズミがケーブルを囓って壊したところを探すのは、そのすべてのトラフの蓋を外しながら手繰るようにして見ていかなければならないという、なんとも途方もない作業になるのだ。

 そんなわけで冬の寒い風が吹く中を、いつ見つかるかわからない予想のつかない「宝探し」を先輩や同期たちと一緒になって始めてみると、いくつかトラフの蓋を外したところで「ここだ!ここをやられてる!」と先輩の一人が大声で知らせてきた。
 すぐに作業をやめてみんなで一斉にに見いくと、見事にケーブルの被覆になっている絶縁ビニールは削り取られ、しかもケーブルの本体を外的な損傷から護るための金属の網組も引きちぎられて、中の信号ケーブルの何本かは完全に切られていた。

 これじゃあ転轍機は動くはずもない。

 それにしても、自分が育った町の近くにネズミがいること自体ビックリしたが、ネズミの歯の威力とはこうも凄いものかとさらに驚かされた。

 といって、感心している場合ではない。とにかく早く補修させなければ、機関車が機関区に出入りできなくなってしまうし、そんなことが長く続けば列車のダイヤが乱れてしまう。

 そんなわけでケーブルの補修をしようと、ネズミに囓られたところの周りのトラフの蓋を外したとき、黒い塊のような物がいきなり飛び出してきたかと思うと、蓋を開けていないトラフの中に逃げ込んだ。

「ネズミだっ!ナベちゃん、そっち行ったぞ!」

 主任が私に叫んだけど、いったい何が起きたのかを理解するのには、ちょっとだけ時間が必要だった。それだけ、私もまだまだ経験が浅いということだ。
 とはいえ、ネズミにとってそんなことは関係ない。
 悪いことにネズミは私の足下にあるトラフの中に逃げ込んだのだ。
 ようやく理解した私も、無我夢中でトラフの蓋を外すと、再びネズミがガサガサっと音を立てて逃げ出していく。

 それからは、大の大人、それも暑さ寒さや風雨をモノともしない鉄道マンたちが、てんやわんやと騒ぎながら小さなネズミを追い回していた。

 たぶん、端からは変な光景に見えただろうなぁ。
 この現場のすぐそばには、横須賀線新川崎駅のホームがあるから、そこにいたお客さんたちはきっと見ていただろうなあ。

 それでも、私たちは必死にネズミを追いかけたが、こうなるとネズミも命が懸かっているから必死、すばしっこさにモノをいわせて逃げ回る。

 結局、このチェイスはネズミの逃げ勝ちになってしまった。
 平成の世でネズミを見ようなどと、夢にも思わなかったが、鉄道にとってネズミは天敵だということを思い知らされた。

 その後、ケーブルは応急処置をして信号の障害は復旧、列車の運転への影響は最小限で済んだ。そして、ネズミに囓られたケーブルは、後日、緊急の補修工事として交換することになった。