財布にはドル札、片手に英語の辞書【1】
鉄道貨物を利用されるお客さま、つまり荷主さんは本当に驚くほど多くの業種の会社などに利用していただいている。とはいえ、私が鉄道マンになった頃は、モータリゼーションの進展や国鉄時代の相次ぐストやら運賃値上げやらで、荷主の鉄道離れの影響もあって最盛期に比べるとずいぶんと減ったそうだ。
大手の宅配便会社にもコンテナ輸送は利用していただいていたが、この頃は全体量からするとごく一部だったようで、やはり自前の長距離トラックが主役だったようだ。
身近なものでいてば、酒類メーカーが販売するミネラルウォーターがコンテナで運ばれていた。他にも缶ビールやタバコもコンテナ輸送を利用していただいていた大口のお客さんだったといえるだろう。
前回までは
もっと大口の荷主となると、やはり石油輸送が一番だった。コンテナではなく専用のタンク車に積んで運ぶ石油類は、一度に大量を、そして比較的長い距離を運ぶのに鉄道がもっとも効率がよかった。そのおかげか、京浜工業地帯に点在する製油所から、関東・甲信越、東北南部の各地へとガソリンをはじめとした燃料油を運ぶ専用貨物列車が多数設定されていた。
いまでもこの石油類の輸送は健在だ。というのも、こればかりは自動車輸送へ代替することが難しいという。輸送効率もそうだが、なにより危険物であるために法令の壁が存在するらしい。
この石油輸送。自動車で使うガソリンや軽油、冬の暖房には欠かせない灯油、さらには機械類に使われる潤滑油などなど、一言で石油といってもいろいろな種類がある。
この石油類での変わりダネといえば、航空機に使われるジェット燃料だろう。そのジェット燃料の荷主もまた変わりダネで、その荷主は何と在日アメリカ軍だった。
在日アメリカ軍が日本の鉄道貨物を使って燃料輸送?と思われる方もおられるかも知れないが、ジェット燃料は自動車のガソリンまではいかないもののやはり危険物には変わりない。
持ち主が在日アメリカ軍だとしても、そんな危険な物を自動車で大量に運ぶというわけにはいかない。そこで、終戦直後から国鉄がその輸送を請け負っていたのだという。
その在日アメリカ軍の貨物輸送は国鉄から貨物会社が引き継いだ。当然、貨車が出入りできる軍事施設には線路も敷かれているので、他の荷主さんと同様に貨物駅から線路がつながっているので、そうした施設もまた貨物会社が保守管理を請け負うことになっていた。
この在日アメリカ軍の専用線路、全国でもそれほど多くはないのだが、意外なことに関東地方に、それも東京西部から神奈川県に集中していたのには驚いた。そして、関東支社にある数少ない電気区の中で、私が勤務した横浜羽沢はこの在日アメリカ軍の専用線路を接続する駅を多く抱えていたので、さらに驚かされたものだった。
そのようなわけで、この日本の中にあるアメリカの線路を担当する人間が必要だと、電気区を統括する主任や工事設計の主任から聞かされていた。
まあ、配属になって間もないし、それに仕事だってまだまだ覚えている最中で、とてもそんな大きなものを担当する力量などあるはずもない。それに、高校の英語の成績はこれ以上ないくらいに散々たるものだったから、英語を使う仕事など私に任せるはずもない。
そんなことを考え、自分にお鉢など回ってくるはずもないと、私は勝手に決め込んでいたのだ。
「ナベちゃん、そろそろ担当の一つをもってみないか?」
こんな調子で切り出され、同期の中でも最初に担当を持たされると内心小躍りしながら喜んだ。
「どれを担当すればいいのですか?」
天の神様(?)、いや主任の気まぐれなのか、その在日アメリカ軍専用線の担当者を、あろうことか私に任せると言われてしまった。
もちろん、私に拒否権などない。答えは「はい」か「喜んで」のいずれかしかないから、結局は私が担当することになってしまった。