「人生とは自分自身が脚本を書き主役を演じるドラマだ」
このような名言をご存知でしょうか。京セラと第二電電(現在のKDDI)の創業者であり、破綻した日本航空を再生に導いた稲盛和夫氏の言葉です。
確かに、人生はドラマですね。その主役は自分自身。それぞれの人に、それぞれのドラマがあります。
先日、所用で鎌倉市内へ出かけた時に乗っていた江ノ電。稲村ヶ崎駅から藤沢駅行きに乗った列車で、ちょっとしたドラマがありました。
稲村ヶ崎駅から乗った電車は、江ノ電の「看板」ともいえる最古参の300形とよばれる車両ができ、内心にんまりしながら乗ると、車内はかなりの混み具合。
私は取りあえず、山側のドア付近に立っていました。
時折窓から見える海岸の波を見てみたり、その先に広がるように見える三浦半島を眺めたりしながら、列車に揺られていました。
反対側の海側のドア付近には、小学校高学年くらいでしょうか、女の子が二人立っていました。この時は、リュックサックを背負った姿に、「遠足かな?」と思うくらいで、とりたてて気にもしませんでした。
ところが、列車が鎌倉高校駅近くになると、一人の女の子が私が立つドア付近まできました。
「おや、降りるのかな?」
そう思い、下ろしていたカバンを乗り降りする人の邪魔にならないように、少しだけカバンを動かそうとした時、その女の子の頬を大粒の涙が伝っていたのです。
「いったい、何があったのかな?ケンカでもしたかな?」
そう思いもしましたが、ケンカにしては何か変でした。
こうしたあたりはいまの仕事の職業病とでもいいましょうか、直感的に見分けがついてしまうのです。
大粒の涙を流す女の子のところへ、もう一人の女の子がやって来ました。
もう一人の女の子は目を真っ赤にしていましたが、涙は流していませんでした。
そして、列車は鎌倉高校駅へと着きます。
ドアが開くと、涙を流した女の子はもう一人の女の子を見やり、そしていつしか絡めていた手を解きほぐすように離すと、突然走り出して改札の外へと行ってしまいます。
もう一人の女の子は、それを引き留めたかったようですが、そうすることはせず目を真っ赤にしたまま走り去る女の子を目で追っていました。
やがて、二人の別れを確実なものにするかのように、列車のドアが閉まります。そして、列車はゆっくりと湘南の海沿いを走り出しました。
列車からまるで逃げるように降りて行った女の子は、改札の外にある斜面の墓地の中*1から走り去る列車を見送っていました。
車内の残った女の子も、見送ってくれているのが分かっていたのでしょう、ドアの窓に張り付くようにしてその姿を確かめていました。
やがてその女の子の頬を一筋の涙が伝っていきました。そして、あふれ出る感情を堪えながら、貰った手紙を読んでいました。その顔を、窓から差し込む初冬の夕陽が照らしていました。
ちょっとした少女の別れのドラマ。
江ノ電という、どこかローカルでいて湘南の海沿いを走る鉄道だからこそ、こうした小さなドラマも似合うのかも知れません。
きっと、同じ学校に通っていた仲のいい友だち同士だったのでしょう。これまだ職業病ですが、一人は引っ越しかなにかで離ればなれにならざるを得ない運命だったのかも知れません。
まだまだ小学生、されど小学生です。10代にやっと届いたばかりであろうこの二人には、これからもっともっと広がる未来がある。でも、その友情の火は絶やすことなく、いつまでも大事にしてほしいと思いました。
*1:鎌倉高校駅の西側には共同墓地があり、そこを通って住宅街へ行けるようだった。