旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【11】

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 前回のつづきより

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 10−2 当時としては画期的だった、定員着席サービスの通勤列車「湘南ライナー

 少子高齢化の波は容赦なく押し寄せ、これまで鉄道にとってあたりまえともいえた通勤通学利用者の定期収入によるビジネスモデルは、少しずつではあるものの将来は通用しなくなり、ひいては利用者の落ち込みによる営業収入の減少を招くと危惧されています。

 そうなると、いかにして利用者をつなぎとめるか、そして営業収入を確保するかが鉄道事業者にとって大きな課題として立ちはだかっています。加えて、2020年には新型コロナウイルスの感染拡大と、我が国の戦後史の中で極めて異例な「緊急事態宣言」の発令により、多くの人が自宅に引きこもる生活になり、当然ですが通勤通学で鉄道を利用する人が極端に減りました。

 校舎は偶発的な出来事とはいえ、経済活動がほぼ止まった状態に陥り、企業も社員がオフィスに出社しなくても自宅で仕事を進めることができるよう、オンラインによる会議や事務的な仕事は自宅で行う「テレワーク」を推進するようになりました。

 当然、この状況では多くの人が鉄道を利用して、都心部のオフィスに出社することも皆無になってしまったので、利用者の数は激減してしまいました。

 とはいえ、前者はすでに予想されていたことから、鉄道事業者もどうにかして営業収入を確保しようと考えますが、そこで登場したのが通勤ラッシュの中で、座席に座ってゆっくりとしながらオフィスへ、あるいは自宅へと向かうことのできる「着席サービス」をはじめました。

 利用者は予め整理券を購入しておき、実際に列車に乗るときには指定された車両に乗って、座席に座るというものですが、在京の大手私鉄の一部では最近になって初めたサービスで、特定の列車ないし列車の1両を指定席として充てるというものです。

 一方、JRはそれよりもはるか前、国鉄時代にこうした発想の列車の運転を始めていました。

 東海道本線は朝の上り列車、夕方の下り列車の混雑は激しく、東京のベッドタウンとなった沿線からの利用者は、混雑した列車に1時間以上も乗らなければならないという、痛勤を強いられていたのでした。

 この頃、国鉄は分割民営化も直前になっていましたが、なんとか収入を上げようと様々な施策を打ち出していたのでした。もちろん、朝の通勤時間帯に通勤特急のような列車を走らせることも考えたのでしょうが、国鉄、後にJRの営業規則には、特急列車には通勤定期乗車券で利用することができないと明文化されており、特急列車を設定したとしても、これに乗るためには通勤利用者は通勤定期とは別に、普通乗車券と特急券を購入しなければならないという「壁」が立ちはだかり、利用者を取り込むことは困難になることがわかっていました。

 そこで、特急列車ではなく、通勤定期でも乗ることができる「快速」として列車を設定し、特急券の代わりに列車整理券として販売することで、営業収入を上げようというものでした。

 また、この頃は早朝の普通列車として185系が運用されていましたが、上り普通列車として運転されると、他の列車は3ドアの113系であるのに対し、185系はデッキ付き2ドアという構造が災いし、乗客の乗降に時間がかかってしまい、結果、遅延を発生させる原因となっていたのでした。

 そこで国鉄は、この2つを同時に解決することと、すでに特急形電車の回送列車を有効的に活用するために運転されていた「ライナー」列車が好評であったこともあって、東海道本線にも同じ性格の列車を設定し、1986年に「湘南ライナー」として運転が開始されたのでした。

 

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湘南ライナーは、185系で運転されていた朝の上り普通列車を着席指定列車に転換して設定された。運転開始は1986年と分割民営化直前だったが、それまで列車の設定ですら硬直化していた国鉄としては、比較的柔軟に考えられた施策の一つといってもいい。整理券を購入する必要があるが、それでも座ってゆったりと通勤ができるということから、利用者には好評をもって迎えられ、一時期は整理券を購入するのが困難なほどだったという。©I, Sui-setz, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commonsより引用)

 

 「湘南ライナー」は朝の時間帯は上りだけを、夕方の時間帯は下りだけを設定し、上りは大船以東はすべて通過し、品川と新橋では降車のみを扱いました。また、下りは品川のみで乗車だけとなり、大船以西に停車し、一部は藤沢と茅ケ崎のみに停車するという、湘南地域の利用者をターゲットとしたものでした。

 また、「湘南ライナー」は東海道本線だけを走る列車と、並走する貨物線を有効活用することで新宿へ乗り入れる「おはようライナー新宿」「ホームライナー小田原」も設定され、こちらは東戸塚からは東海道貨物線を走り、横浜羽沢を経由し*1、鶴見からは品鶴線武蔵野南線)を走り大崎から山手貨物線を経て新宿へと至るという、今日の湘南新宿ラインに近いルートで運転されました。

 これらの「ライナー」が運転されると、沿線の利用者からは好評をもって迎えられ、連日満席という盛況ぶりでした。一時は整理券を入手するのが困難だったといい、購入するためにわざわざ本人に変わって家族が駅の窓口に並ぶという光景も見られたといいます。それだけ、痛勤に疲れ果てたビジネスパーソンにとって、「ライナー」は痛勤から開放されるための、まさに「天国のような」列車になったのです。

 朝の通勤時間界に、185系のようなデッキ付き2ドアの列車を走らせるのは、乗降に時間がかかりダイヤの乱れを誘発してしまいますが、停車駅が限定され、乗車する利用者も整理券がないと乗ることができないので、さほど問題にはならなかったようです。加えて、特急列車としては格下の転換クロスシートを装着して不評でしたが、「ライナー」は特急列車ではないので、リクライニングシートでなくてもさしたる問題ではなかったようでした。それはそうでしょう、何しろほぼ毎日のように満員で座席に座ることも叶わず、揺れる車内で1時間ほど立ち続けなければならない方が、利用者にとって苦痛だったので、座席に座ることが確約されているということは、何よりもありがたいものだったからです。

 こうして「湘南ライナー」をはじめとする列車は好評を博し、およそ10往復もの列車が運転されるまでに成長していきました。そして、その主役はといえば185系で、ラッシュ時には遅延を招くとして運転サイドでは忌避されたデッキ付きの設備は、停車駅を絞り込んだことでその心配も少なくなり、静かな空間を提供できたことで、多くのビジネスパーソンが一味違う通勤ができるようになったのです。

 しかし、残念なことに2021年のダイヤ改正で、多くのビジネスパーソンに愛された「湘南ライナー」をはじめとする列車は185系の引退とともにすべて廃止となり、新たに設定される特急「湘南」へ移行すされてしまいます。このあたりは筆者としては一考がありますが、これについては別の稿に譲るとして、こうした列車がなくなるのは寂しい限りでしかありません。

 

 

《次回へつづく》

 

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*1:横浜羽沢駅は貨物駅で客扱い設備が一切ないので通過するのみ。2019年には隣接して羽沢横浜国大駅が開業しているが、こちらは相鉄新横浜線と接続するため、横浜羽沢駅の鶴見方に転線設備があり、ライナー列車は停車できない