1969年に就役して以来、途中電装品の交換による改造を受けながらも、50年という長きにわたって走り続けてきた東急7700系が、11月24日の運行をもってその歴史に幕を閉じました。
さよなら列車の運転の様子は地上波のニュースにも取り上げられたほどで、鉄分の多いファンのみならず、多くの人の関心を集めたようでした。
つい先日、齢70も半ばになった母を乗せて車で元住吉検車区を通りがかった時には、「7000系が土曜日で終わっちゃったってニュースでやっていたね。本当に、寂しいものだわ」なんていっていました。
戦時中生まれの母は、幼少の頃に田舎から出てきて長く東急沿線に住んでいました。かつての濃緑色に塗られた旧型車から、濃紺と黄色のツートンにかわり、やがてライトグリーンへと塗られた3000系(初代)に乗って通学したとか。やがて、結婚して子ども(つまり私)ができると、幼子だった私の手を引き東横線に乗ったときには綺麗な銀色に輝くステンレス車の7000系にも乗って、遠くは埼玉の母の実姉の家にも遊びに行ったのでした。
それほど鉄道には関心がない母から、7000系という言葉が出てきたのには驚きました。それだけ、7000系という電車(正確には7700系ですが)は、沿線の利用者にもセンセーショナルな車両だったといえるでしょう。
さて、東急7700系の記事は別にもこのブログでもお話ししておりますが、今回は母のような鉄道に関心のない人からも「7000系」という名が出るほど、多くの人から関心を集めた東急7000系/7700系という鉄道車両を、工業製品としての視点から俯瞰していきたいと思います。
今回も最後までお付き合いくださいませ。
1.東急7000系という鉄道車両の生い立ち
このブログでもお話しさせて頂いております「走り抜ける昭和の鉄道」でも少し触れておりますが、今一度、この7000系という電車の生い立ちに触れておきたいと思います。
1-1 それまでは「セミステンレス車」だった
7000系が登場するよりも前、車体のが違反にステンレス鋼を使った車両は造られていました。
同じ東急電鉄であれば青ガエルこと5000系の外板をステンレス鋼に変えた5200系、さらにその進化形とした6000系でした。しかし、どちらもステンレス鋼を鉄道車両に使うという試作的要素が強く、少数が造られた程度でした。
▲日本初のステンレス車体となった東急電鉄5200系電車。車体の外板はステンレス鋼ではあるが、骨組みとなる構体や基礎となる台枠は従来の普通鋼とせざるを得なかった。(©Hahifuheho [CC0], ウィキメディア・コモンズより)
また、国鉄もステンレス鋼には興味をもっていたようで、113系電車のグリーン車・サロ111形のステンレス車体の試作車を造ったり、同じくステンレス車体をもったキハ35系気動車の試作車・キハ30形900番代をつくったりしました。
いずれも、車体の外板はステンレス鋼を使っていましたが、それを貼り付ける構体や車体の基礎となる台枠には、従来の普通鋼を使った「セミステンレス車」と呼ばれるものでした。
普通鋼は雨水に濡れると錆が生じます。特に鉄道車両のように、常に雨ざらしの環境に置かれればなおさらです。加えてブレーキの制輪子(パッド)から飛び散る鉄粉などが、腐食を促進してしまいます。
せっかく腐食に強いステンレス鋼を車体外板に使っても、構体や台枠が普通鋼のままでは効果も半減してしまいます。
1-2 なぜ「セミステンレス車」だったのか
それならば、台枠も抗体もステンレス鋼にすれば、腐食に強い鉄道車両をつくることができます。そうすれば、問題はいっぺんに解決し、めでたしめでたしです。
しかし、1960年代の日本の技術では、車両のすべてをステンレス鋼でつくることはできませんでした。
鉄道車両は構体と呼ばれる骨組みの上に、薄い鋼板を貼り付けて車体をつくります。
この貼り付ける鋼板は、薄ければ薄いことに超したことはありません。
それは、鋼板の厚さが薄い分、車体そのものの重量を抑えることができるからです。重量が軽いと、走るために必要なエネルギー、つまり電車であれば電力量が、気動車であれば消費する燃料が少なくて済みます。
さらに、軌道にかかる負担も少なくなり、線路のメンテナンスコストも下がります。
しかし、普通鋼でつくる場合、その性質上極端に薄い鋼板を使うことはできませんでした。そうしてしまうと、必要な強度が保てません。それに、ブレーキの制輪子から発する鉄粉が降りかかり、そこから腐食が始まるので、薄い鋼板ではたちまち腐食が広がって使い物にならなくなってしまいます。
一方、ステンレス鋼ではある程度薄くても強度は保てました。それに、鉄粉が降りかかっても、ステンレスという材質なので腐食も抑えることができるので、必要最小限の厚さでも十分でした。
それ故に、ステンレス鋼ならば普通鋼に比べてもかなり薄くてよいので、そして重量も軽く済みます。
▲5200系に続いて製作された6000系電車。やはり外板はステンレス鋼だが、構体や台枠は普通鋼とした「セミステンレス車」であった。(©Shellparakeet [CC0], ウィキメディア・コモンズより)
ところが、この薄いステンレス鋼の鋼板を、同じステンレス鋼の構体に貼り付けるための溶接が非常に難しかったのです。
溶接とは皆さんもご存知、工事現場などでお面をした作業員が火花を散らしながら、鉄鋼や鋼板をつなぎ合わせることです。
この溶接も大きく分けて二種類あり、高圧ガスを燃やした火で、ロウと呼ばれる接続剤を溶かして金属同士をつなぎ合わせる「ガス溶接」と、接合したい鋼材に電気を流し、その電気から生じる抵抗熱で溶かして接合する「電気溶接」があります。
鉄道車用のような大きなものをつくるとき、多くは電気溶接によって鋼材同士をつなぎ合わせています。
ところが、普通鋼に比べて極端に薄いステンレスの鋼板を、構体に溶接するのは非常に難しかったようで、溶接したところが歪んでしまい見た目も悪ければ、実用的にも芳しくなかったそうでした。
この頃の日本では、繊細な技術を必要とするステンレス鋼の溶接技術が確立されてなく、ステンレス鋼のメリットを知りながらも、実現をすることが難しいものだったのでした。
(つづく)
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