旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【10】

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 前回のつづきより

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(10)多彩な列車に充てられた185系

 国鉄も末期になった1981年に登場した185系は、0番代は急行「伊豆」と特急「あまぎ」を統合し、特急「踊り子」としての運用に就いていきました。その間合いでは、153系が担っていた普通列車にも使われるなど、多彩な運用をこなしていきます。

 200番代もまた、当初は東北・上越新幹線の上の開業までの「つなぎ」として、上野−大宮間で運転された新幹線連絡特急「新幹線リレー号」での運用につき、新幹線が上のまで延伸されると、東海道と同じように165系で運転されていた近距離急行を特急へ格上げで設定された列車に充てられました。

 しかし、いずれも「踊り子」は東京駅始発、東海道伊東線系統の列車として、「新幹線リレー号」は高崎線の列車としての設定で、他の路線との乗り入れは考慮されていませんでした。とりわけ、通勤路線と呼ばれる京浜東北根岸線横浜線といった路線に特急列車を走らせようという発想はなく、それらの列車に乗りたければ、特急列車の停車駅まで他の路線に乗り、そこで乗り換えることが大前提だったのです。

 言い換えれば、国鉄時代の特急列車は幹線のみを走る「特別な存在」で、そこから逸脱することは微塵も考慮せず、その列車に乗りたければ乗客に停車駅まで来なさい、という「殿様商売」的な考えでした。

 もっとも、国鉄時代は今日のように技術が発達していたわけではなく、複雑なダイヤ編成を組んでもそれに対応できるシステム自体が存在していなかったことと、異なる性格の路線を跨る列車を設定したところで、異常時(人身事故などによるダヤの乱れなど)が起きると、たちまち関係ない路線へ影響が波及してしまい、ダイヤを正常化させるためには時間を要してしまうことが考えられたのでした。

 そして、そんなことをするくらいなら、それぞれの路線で完結させておいたほうが異常時も該当する路線だけで済み、他の路線は正常なダイヤを維持できる、そのことが職員にとって負担が少なく効率もよいという、まさに「お役所的」な発想が基本であったので、性格の異なる複数の路線に跨る列車などは考えられなかったのでした。

 しかし、1987年の分割民営化によって、そうしたお役所的な発想の列車の運行思想は、早い段階から崩されていったのでした。

10−1 横浜始発、甲府行き「はまかいじ

 分割民営化後は、それまでの特急列車の運転系統に囚われることなく、利用者のニーズに合わせた列車が設定され、185系の活躍の舞台が広がっていきます。

 その一つとして、横浜地区と信州を結んだ特急「はまかいじ」がその好例と言えるでしょう。

 従前、横浜から甲府へ向かうには、横浜または東神奈川から横浜線に乗り、終着の八王子で中央本線に乗り換えなければなりませんでした。しかし、この当時の横浜線は快速列車が運転されてはいたものの、列車の運転本数も制約がある上、時間帯によっては満員に近いほどのひとが乗るので、座席を確保することは非常に難しく、応否なく混雑する車内で荷物をかかえたまま1時間以上もの間立ち続けなければなりませんでした。

 さすがにこれでは、長距離を移動する利用者にとっては、横浜線に乗るだけで疲れてしまいかねません。

 そこで、横浜を始発として、横浜市民が利用しやすいように横浜線の主要駅に停車させ、中央本線へ直接乗り入れ甲府を終着とする「はまかいじ」が1996年に設定されました。また、時期によっては横須賀線の鎌倉や、大船を始発にし、根岸線磯子桜木町に停車する列車も設定されました。

 「はまかいじ」は原則として横浜を始発にしていましたが、東海道本線のホームに停車させると、東神奈川で横浜線へ転線することができません。横浜でも同じく転線ができないため、「はまかいじ」として運転される185系は、一度、線路容量に余裕がある横須賀線の逗子へと送り込まれます。逗子には横須賀線で運用される車両を留置する側線があるので、一度そこへ留置させ、折返し逗子から横浜まで横須賀線根岸線を回送列車として運転し、横浜で客扱いをしていました。

 

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特急「はまかいじ」は従来の考え方にとらわれず、利用者の声に応えた形で運転を始めた列車だった。当然、沿線の利用者にとっては利便性も増し、シーズンともなれば多くの人が乗ったという。同時に、185系の運用範囲も大きく広げ、遠く篠ノ井線の松本まで乗り入れた。©まも(Mamo), Public domain, via Wikimedia Commonsより引用)

 

 ところが、この運用には一つだけ問題がありました。

 それは保安装置で、横須賀線東海道本線と同じATS-Snを使用していました。ところが、根岸線京浜東北線と一体的に運転されているため、前線でATCを使っていたのでした。もっとも、桜木町から根岸まではATC区間ではあるものの、貨物列車も設定されていたためATSの併用が可能でしたが、それ以外の区間ではATSとの併用ができません。

 そこで、「はまかいじ」として運転される185系には、ATCを追加で設置されたのです。もっとも、すべての185系ATCを追加するのではコストがかかり過ぎるので、「はまかいじ」に使用されるB3、B4、B5編成の200番代にだけATCを追加したのです。そして、「はまかいじ」が運転されるときには、これらの編成のいずれかが限定運用に入っていたのでした。

 こうして、従来の路線という枠組みに囚われることなく、需要のあるところへは車両を改造してでも列車を設定するという、国鉄時代には考えられなかった施策が功を奏して、「はまかいじ」は土日運転の季節列車として運転され、多くの人が利用したようです。一時期、横浜側の始発駅は根岸線内の磯子横須賀線内の鎌倉になり、大船だけでなく、北鎌倉や桜木町横浜線内は新横浜、町田、橋本と従来は特急列車とは縁がなかった駅にも停車していました。

 また、「はまかいじ」の運転によって、185系中央本線篠ノ井線にまで乗り入れることになり、運用範囲は遠く長野県にまで及ぶようになりました。

 1996年の運転開始以来、ATCを装備していた183・189系とともに、横浜方面から信州へ向かう多くの利用客を乗せて走り続けましたが、20年が過ぎた2017年にはグリーン車が外されてしまいました。さらに、2019年のダイヤ改正では列車の設定そのものがなくなってしまいました。

 その理由として、185系自体が老朽化が進んで廃車になったことと、中央本線の特急列車の施策が大きく変更となり、「あずさ」「かいじ」ともにE353系に統一したこと、さらにこれは時代の流れとでもいうのでしょうが、根岸線横浜線の駅にホームドアを設置することになり、ドア数やその位置が異なる185系では対応ができなくなったことなどによるものでした。

 いずれにしても、民営化によって従来にはない発想によって、新たな列車を誕生させたことは、185系の運用範囲を大きく広げたことは間違いないことです。残念ながらJR東日本の方針が大きく変わったことで、20年以上もの間を走り続けた「はまかいじ」は、静かにその姿を消していったのでした。

 

 

《次回へつづく》

 

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