旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

走り抜ける「昭和の鉄道」 マルーンの艶やかさは移籍先でも・能勢電鉄1500系(Ⅲ)

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マルーンの艶やかさは移籍先でも・能勢電鉄1500系(Ⅲ)

  元は阪急2100系として誕生した能勢電鉄1500系。

 長年親会社での勤めを終え、子会社へ移籍しても阪急電鉄のこだわりともいえる艶のあるマルーンの車体を保ち、車内も大きく手を加えることもなかったので、一見すれば同じ会社の電車と思われても不思議ではありませんでした。

 その車内、壁は木目のデコラ板、座席のモケットは深みのある緑色という組み合わせは阪急電鉄いらいのもの。実は阪急電鉄の多くの車両は、ほぼ同じ内装スキームを採用しています。

 乗客を走る応接室へご案内する・・・阪急電鉄のこだわりと申しましょうか、一種のポリシーみたいなものが、こうしたあたりにも窺い知ることができるでしょう。

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 こだわりと言えば、こちらもその一つ。

 普通鋼製でありながら、一段下降窓というのも阪急電鉄の車両に共通しています。

 通常、普通鋼でつくった車体に、このような一段下降窓を設置すると、窓と車体の隙間から雨水が浸入し、それが車体の裾あたりに溜まってしまいます。その溜まった水は外から抜くことが難しいため、経年とともに車体の鋼板を腐食(つまり錆)していき、車体の強度に深刻な影響を及ぼしてしまうのです。

 それ故に、多くの鉄道事業者は普通鋼でできた車両に一段下降窓を採用することを躊躇っていました。

 しかし阪急電鉄はあえて、この一段下降窓を採用し続けたのです。

 これは、まだ冷房装置が今日ほど一般的なかった時代、気温が高い暑い日には窓を開けるのがふつうでした。ところが、車内に涼しい風を取り入れるために窓を開けると、座席に座るお客さんの頭を強い風が直撃してしまいます。

 こうなっては、お客さんに不快な思いをさせてしますのではないだろうか、女性ならせっかく整えた髪型も風にあおられ台無しになってしまうのではないか。
 阪急電鉄は本気でそのようなことを心配したそうです。

 そこで、車体にはあまりよい影響を及ぼさないことを承知で、窓を開けた時に乗客、特に座席に座るお客さんに不快な思いをさせずに済むよう、上から開く窓を設置したのでした。

 阪急電鉄のお客さんに対する配慮はこれだけではありません。

 写真のような金属製のブラインド、ほかの鉄道事業者ではまず見かけない独特のものです。かくいう筆者も、この独特なブラインドにお目にかかったことはありませんでした。

 このブラインドは窓の下辺から上に引き上げることで閉めることができます。こうすることで、強い日差しが窓から照りつけた時、座席に座るお客さんには日を当てないようにし、座席の前に立っているお客さんからは外の景色が見られるようにしたのです。

 加えて、下降窓なので窓を開けると機器は上の方が開きます。ブラインドを下から上げるようにして閉めることで、窓から新鮮な空気が効率的に車内に入るようにしているのです。

 さらに、金属製にすることで、走っている最中に強い風が入ってきても、巻き上げ式のカーテンのように風にあおられぐちゃぐちゃになることも防いでくれます。

 まさに、お客さんの目線で考え出された設備でした。

 こうした設備は一般的なカーテンに比べて高価であることは間違いありません。しかし、阪急電鉄はお客さんに不快な思いをさせないよう、居住性とサービス面を第一に考えた車内にしていたのでした。

 こうした「こだわり」の設備もまた、転籍したとはいえ健在でした。

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 子会社へ移籍してもなお、お客さんを第一に考えた接客サービスを保ちつづけた能勢電鉄1500系。

 既に製造から50年以上が過ぎ、長きにわたって走り続けてきましたが、阪急電鉄で一緒に走ってきた後輩が能勢電鉄へ移籍してくるのとともに、2016年を最後に引退していきました。

 いわば、子会社に移籍して、そこでも活躍しての定年退職、とでもいいましょうか。いずれにしても、一度は御役御免となり廃車・解体という運命を辿ることが多い中、新たな活躍の場を得られたというのは幸運といえるでしょう。

 それが半世紀上という、鉄道車両としては長寿であればなおさらのことです。

〈了〉